注力していきたいパラスポーツ界への参画
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アシックスの創業者・鬼塚喜八郎氏(左)とIOC元会長サマランチ氏
―― 東京2020オリンピック・パラリンピックのゴールドパートナーになったのも、アシックスの創業哲学がもとになっているわけですね。
アシックスの創業哲学と、オリンピック・パラリンピックの理念とが一致したことが大きかったですね。オリンピック・パラリンピックの理念に賛同したからこそ、2016年リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック、2018年平昌オリンピック・パラリンピックを含む3大会でのスポーツ用品のカテゴリーにおいて国内最上位スポンサーである「ゴールドパートナー」の契約を締結しました。これは、私がアシックスに入る前の2014年にすでに社内で決定され、翌2015年4月に発表されました。
―― コロナ禍で無観客ではありましたが、東京2020オリンピック・パラリンピックは大過なく終わったように思いますが。
開催が実現して、本当に良かったと思います。原則無観客での開催でしたので、多くの人たちが実際に競技会場に行くことはできませんでしたが、それでもテレビやインターネットを通じて選手たちの活躍を見ることができたのは、非常に大きな意味があったと思います。
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東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会日本選手団オフィシャルスポーツウェア発表会。中央が尾山会長、右が本人(2020年2月)
―― ただスポンサーとしては、実現できたこともあれば、実現できなかったものも多かったのではないでしょうか。
まず実現できたこととしては、日本代表選手団オフィシャルスポーツウェアアイテムの製作です。ジャケット、パンツ、Tシャツ、キャップ、シューズなど全部で17アイテムを展開しましたが、国内のみならず世界にアシックスブランドを広く発信することができました。また、競技用ウェアにおいては日本では陸上、トライアスロン、男子バレーボール、ハンドボール、レスリング、競泳、野球、そして海外ではイタリア、ウクライナ、オランダ、フランス、ブルガリアの陸上など、さらにオーストラリアは、競泳など一部を除いてほとんどの競技に提供しました。その選手たちが大活躍してくれましたので、ブランドの発信ということに関しては非常に大きな成果があったと考えています。
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東京2020大会ゴールドパートナー発表会見時。左から4番目が尾山社長(当時)、5番目が森2020大会組織委員会会長(当時)(2015年)
また、フィールドキャスト(大会スタッフ)、シティキャスト(都市ボランティア)が着用したトップス、パンツ、シューズなどのすべてのアイテムをアシックスが製作したことも、東京2020オリンピック・パラリンピックを開催するという大プロジェクトを支えるという点で非常に大きな意味があったと思います。ただ、原則無観客となりましたので、物販に関しては競技会場でのグッズの売り上げは当初の見込みを下回りました。しかし、それはやむを得なかったと思います。社員は東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて長い間準備をしてきていましたので、非常に強い思いがありました。また全社一丸となったプロジェクトでもありましたので、やり遂げたというのは私たちにとって重要だったと思います。
―― アシックスのウェアやユニフォームを着用したアスリートやボランティアからは、非常に好評でした。
アスリートはもちろんですが、ボランティアのウェアアイテムにおいても、日本の夏を快適に過ごすことができるようにと速乾性、通気性の高い製品を提供させていただきました。それを実際に着用し、実感していただいたこと、発信していただけたことは、とてもありがたいと思っています。
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東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会 日本代表選手団オフィシャルスポーツウェア発表会(2020年2月)
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東京2020オリンピック・トライアスロン女子で金メダルを獲得したフロラ・ダフィー選手(バミューダ)
―― 東京オリンピック・パラリンピックに向けての製品開発についてお聞かせください。
弊社では東京オリンピック・パラリンピックに向けて長距離ランナー用として「METASPEED(メタスピード)」というシューズを開発、販売しました。「METASPEED」は軽量化に成功し、200g(27cm/片足分)もないんです。
そしてもうひとつ大きな特徴は、ミッドソール内部に軽量なカーボンプレートを搭載していることです。これによって、中足部が簡単には曲がらないようになっているのですが、一流アスリートのように脚力の強い人は曲げることができるので、反発力をもらって大きな推進力を生み出すことができます。
前に前に足を"跳ばす"というコンセプトでつくられたシューズなのですが、東京オリンピックでこの「METASPEED」を履いた選手が活躍してくれました。
例えば、トライアスロンの男子ではノルウェー、女子ではバミューダの選手が共に金メダルを獲得しましたし、男子マラソンではメダルにこそ届きませんでしたが、5位に入賞しました。そういう部分では、イノベーションの部分でも大きな結果を出すことができました。
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ニューイヤー駅伝2022のスタート風景
―― 今年1月の箱根駅伝でも出場210人のうち、早稲田大学や帝京大学を中心に24人の選手がアシックスの「METASPEED」を履いて走りました。アシックスのシューズ着用率がゼロだった昨年から大躍進だったと思います。また、元旦に行われた実業団のニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝大会)では、「エース区間」と言われる4区をはじめ、5つの区間で「METASPEED」を履いて走ったランナーが区間新記録を樹立するという快挙もありました。
「METASPEED」は海外ではすでに大きな成果が出ていましたし、東京オリンピック・パラリンピックでも成果がありましたので、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝にはよい波及効果があったと思います。シェアとしてはニューイヤー駅伝で約15%、箱根駅伝で約11%とまだまだなのですが、他社への反撃の足がかりができたかなと手応えを感じていますので、これからですね。
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ASICS「METASPEED」
―― 廣田さんご自身が東京オリンピック・パラリンピックをご覧になって、どんなことが印象に強く残ったでしょうか?
数々の感動的なシーンがありましたが、例えば札幌市で行われた競歩は灼熱のなかで競技が行われたわけですが、選手たちのがんばりには本当に感動しました。パラリンピックも非常に感動しましたが、今回の東京オリンピック・パラリンピックの成功という点では、何よりパラリンピックの存在が大きかったのではないでしょうか。パラリンピックという大会や障がい者スポーツというものがあることは知っていた人も多かったとは思いますが、テレビではありましたけれども、あれだけ身近に感じながら見るという経験は初めての方がほとんどだったのではないかと思います。パラリンピック選手のすばらしいパフォーマンスに感動もしたと思いますし、「共生社会」が東京オリンピック・パラリンピックのテーマのひとつでもありましたので、とても大きな意味があったと思います。
―― これまでパラリンピックや障がい者スポーツ、あるいは障がいのある人たちに対して、日本ではなかなか理解が進まなかったところがありましたが、今回の東京パラリンピックをきっかけにして、日本社会も変わっていくように思います。
実際に見ていて、純粋にスポーツとして面白かったですよね。障がいの有無に関わらず、選手は皆、我々の想像をはるかに超えたすばらしいパフォーマンスを見せてくれました。まさにアスリートでした。オリンピックとパラリンピックは、大会が分かれて開催されてはいますが、今後はますます両大会の距離は縮まっていくのではないかと思います。2024年パリオリンピック・パラリンピックでは、エンブレムも統一されますが、そのようにして「ひとつの大会」というくくりになっていくのではないでしょうか。
―― アシックスでは、パラリンピックのアスリートに向けた製品開発はされているのでしょうか。
それは、これからというところです。今後、東京パラリンピックでの経験や実績を踏まえて、障がいのある人たち用の製品開発も進めていきたいと考えています。特にアシックスが強みとする「走る」「歩く」という部分での用品を開発していきたいと思いますが、ユニバーサルデザインでありながらパーソナルな部分も大事にした製品開発に力を入れていきたいと思っています。
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東京2020パラリンピックのシッティングバレーボールに出場したアシックス所属の竹井幸智恵選手
―― 東京パラリンピックには、アシックスの社員も出場しました。
3人の選手が、ゴールボール、パラ陸上、シッティングバレーボールにそれぞれ出場しました。残念ながら会場に行くことはできませんでしたが、全社をあげて応援し、そのパフォーマンスは大きな感動を与えてくれました。
―― ゴールボールやシッティングバレーボールなど、パラスポーツには健常者も一緒にプレーできる競技がありますので、小学校の授業に取り入れるということもできるように思います。
実際にアシックスでもオリンピック・パラリンピックの機運醸成イベントの一環で、児童向けにゴールボール体験会を実施したこともあります。それこそ車いすバスケットボールは健常者も国内大会に出場したりしていますので、そういう部分においても広がっていくと、共生社会の実現という点においてもとてもいいですよね。
―― アシックスとしても、パラリンピックに関わりを持つことによって、製品開発の可能性が広がったということもあるのでしょうか?
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商品について社員から説明を受ける(左)
おっしゃる通りです。今後はパラスポーツ向けの製品開発にも注力していきたいと考えています。
―― 廣田さんの前職の三菱商事は、社会福祉法人「太陽の家」と共同出資会社「三菱商事太陽」を1983年に設立し、障がいのある人たちの雇用を促進してきました。また、それに先駆けて1981年に世界で初めて車いす単独レースとして開催された「大分国際車いすマラソン」を支援してきたという歴史があります。その三菱商事とコラボした事業展開も考えられるのではないでしょうか。
ぜひそういうことをしていきたいと考えていますし、2021年12月1日付で日本パラスポーツ協会会長に就任した森和之氏は、実は私が三菱商事関西支社支社長に就任した際の前任者だったんです。また2024年に再延期が見込まれますが、本来は2022年に開催が予定されていた世界パラ陸上選手権大会もアシックスが拠点とする神戸市で行われますので、今後はよりパラスポーツ界とも結びつきを強くしていきたいと思っています。もちろんパラリンピックに出場するようなアスリートだけではなく、一般の障がいのある人たちへスポーツをする機会を提供していくことにも積極的に取り組んでいきたいと思っています。
運動習慣と健康増進に寄与する事業展開
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「ASICS Sports Complex TOKYO BAY」外観
―― ももともとアシックスは、地域との結びつきも強い企業で、さまざまな取り組みが行われてきたと思いますが、現在は主にどのような地域活動をされているのでしょうか?
アシックスでは2020年に、2030年までの10年間にわたる長期ビジョン「VISION2030」を策定しました。お客さま一人ひとりの嗜好、価値観の多様化に基づいてパーソナライズされた製品を提供するという意味での「プロダクト」、より多くの人々の健康を実現するために、スポーツを始める、あるいは継続するためのきっかけの場や、いつでもどこでも誰とでもスポーツを楽しめる場を提供する「ファシリティとコミュニティ」、これまで培ってきた知見と新たな技術によって収集されたデータに基づいた分析診断を通して、一人ひとりの健康およびパフォーマンスの維持・向上をサポートする「アナリシスとダイアグノシス(分析と診断)の3つの事業を展開していくことで、世界の人々が心身ともに健康で豊かなライフスタイルを送ることができる輝かしい未来の創出に貢献したいと考えています。そのひとつ、スポーツを楽しむ場を提供するという部分では、豊洲(東京都江東区)に世界最大級の都市型低酸素環境下トレーニング施設「ASICS Sports Complex TOKYO BAY」がありますが、そこには障がいのある人たちにも多くご利用いただいています。また、兵庫県と大阪府には機能訓練特化型デイサービス施設「Tryus(トライアス)」があわせて7店舗あります。こうした地域に根差したスポーツ施設の事業展開をさらに広げていきたいと考えています。
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「Tryus西宮」内観
―― スポーツは、社会課題の解決の糸口になることが期待されています。
日本は超高齢化社会ですが、最も重要なのはいかに健康寿命を延ばすことができるかです。現在は、男女ともに平均寿命と健康寿命には差があります。
―― 2021年の厚生労働省の発表では、2019年は平均寿命が男性が81.41歳、女性が87.45歳だったのに対し、健康寿命は男性が72.68歳、女性が75.38歳でした。
その差をいかにうめていくか、そのためには運動は非常に重要な要素となります。一方で、高齢者だけでなく、現代は子どもたちが運動をする機会がどんどん減っているということも指摘されています。私が子どものころとは違い、今の子どもたちは学習塾や習い事、さらにはインターネットやゲームなど、やることがいっぱいありますからね。それでも高校生までは学校で体育の授業がありますので、まだ運動する機会はありますが、高校卒業後、大学入学や社会人になると、運動の時間が激減する傾向が続いています。
―― スポーツ庁が実施した世論調査では、2020年度、成人の週1回以上のスポーツ実施率は59.9%でしたが、仕事や家事、育児に追われる20~50代は全体平均よりも低く、運動不足が課題となっています。
その世代の運動実施率をいかに上げていくかが重要です。特に激しい運動をしなくても、日常で簡単にできる「ウォーキング」や「ランニング」でいいと思いますので、運動をするきっかけや場、そしてより良い製品を提供していけたらと思っています。
―― 運動習慣と、健康寿命の延伸との関係性については、まだしっかりとしたエビデンスが出ていないということも、運動実施率が低い要因となっているのではないでしょうか。
アシックスでもそうしたエビデンスをしっかりと提示していきたいと思っていますので、医療機関や大学の医療専門家などと連携を図っていきます。
―― 笹川スポーツ財団でも、「健康寿命の延伸」は最重要課題として掲げています。ぜひアシックスとも協力体制をしいて、いろいろと活動の幅を広げていけたらと思いますが、いかがでしょうか?
ぜひ、やりましょう。こういうことはひとつの企業では限界がありますので、さまざまなところと協力し合いながら、それぞれの得意な分野で力を発揮することが重要だと思います。それこそカシオとは共創事業として、ウォーキングの質を向上させるスマートフォンアプリ「Walkmetrix(ウォークメトリックス)」を開発しました。「体力向上」「ダイエット」「リフレッシュ」と、お客様のニーズによってウォーキングプログラムを選ぶことができ、年齢や性別、体力レベルに応じたプログラムを作成することができます。とはいえ、やはり楽しいと思えなければ続きませんので、ウォーカーランク機能やメダル付与機能を用意するなどの工夫も凝らしています。
―― コロナ禍による影響を感じていることはありますか?
特にシューズですね。ここ2、3年で特に通勤にも、ウォーキングやカジュアルシューズを履く人が非常に増えているなと感じています。もともと健康志向が強くなっていたことも踏まえると、この流れはコロナの収束後も続くと考えています。歩きやすいシューズで職場に行くということが、日本でも普通になっていくのかなと。そうしたなかで、ファッション性の高いシューズが求められています。履き心地の良さとデザインの両方があることによってウォーキングに対するモチベーションも上がると思いますので、アシックスでもそういうシューズを提供していきたいと思っています。