日本スポーツ界の重要なターニングポイントに
―― 2014年から組織委員会のスポーツ局長兼スポーツディレクターを務め、2020年10月からはスポーツ庁長官としてご尽力された東京オリンピック・パラリンピックにはどのような感慨を持たれていらっしゃるでしょう。
東京オリンピック・パラリンピックは、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、歴史上初めて1年延期となり開催された大会でした。開会式を迎えるまで、選手たちは「本当に開催されるのだろうか」という不安が拭えなかったと思います。また、大会を運営する側も「コロナ禍の中でどのようにすれば、安心・安全に開催することができるだろうか」という大きな課題を抱えながら準備を進めてきました。特に最初は、新型コロナウイルスがどういう特徴のあるものなのかが不明確で、対応の仕方を考えるにも困難を極めたと思います。そういう中で国民の皆さまのご協力のもと、無事に大会を開催することができ、安堵の気持ちが一番強かったです。
東京2020オリンピック閉会式
―― 最も印象に残っているシーンはどのようなものでしたか?
どれも素晴らしいものばかりでしたので、選ぶことはできません。オリンピックでもパラリンピックでも、アスリートが全力を尽くしている姿に感動しましたし、「スポーツっていいな」と改めて感じることがたくさんありました。
―― 東京オリンピック・パラリンピックで遺されたレガシーをどのようにお考えですか。
オリンピック・パラリンピックが一体となり、ダイバーシティ(多様性)の推進が図られた大会として開催されたこと。また、アスリートがコロナ禍という大変な状況も乗り越えられるということを示してくれて、それに勇気と感動をもらえたこと。それらすべてがレガシーであり、日本がスポーツ文化を成熟させていくうえで、非常に大きなターニングポイントとなった大会だったのではないかと思います。
難しい調整が求められた競技スケジュール
―― 室伏長官は、スポーツディレクターに就任されて以降、約7年間、東京オリンピック・パラリンピックの開催準備にあたってこられました。東京大会にとっては重要な局面の連続であったと思います。
東京オリンピック・パラリンピックは、歴史上大きな転換期を迎えた中で行われた大会だったと思います。IOC(国際オリンピック委員会)の総会でも、史上初のジェンダー・バランスのとれた大会にするということで、参加するアスリートや種目の男女の比率を等しくするなど、さまざまな施策が発表されました。そうした変遷の時期に、競技運営の責任者として深く関わることができたのはとても光栄なことでした。
スポーツディレクターとして会議に臨む
―― IOCがさまざまな施策を図る中、各競技のIF(国際競技連盟)や各国のNF(国内競技連盟)からの要求も多くあったと思います。その全てを納得する形にもっていく舵取りにはご苦労されたのではないでしょうか。
スポーツディレクターとして最も時間を費やした交渉の相手は、海外においてはIFでした。まず、どのIFにとっても、4年に一度しかないオリンピック・パラリンピックは、その競技の生き残りをかけた闘いの場でもあります。いかに多くのチケットを売り、集客できるかは非常に重要で、だからこそ自分たちの競技をうまくプロモートする必要があります。そのために、数多くの観客の座席数が欲しいなどという要求等が、たくさん来ました。
しかし、組織委員会としては予算も含めてリソースが限られた中で大会を運営しなければなりませんので、当然、すべての要求を受け入れるわけにはいきません。そのため、IF同士の奪い合いになったりもしたのですが、競技運営の責任者としては、まず第一にアスリートが競技をするうえで本当に必要なものは何かを見極めること。そしてそれを、IFにご理解いただくために、粘り強く交渉していくことが求められました。その中で必要とあらば、交渉先のIFの国にまで出向いて、交渉したり、説明をしたりして、理解していただくこともありました。やはりメールや電話よりも、直接顔を合わせてお話する方が、こちらの誠意も伝わると思いましたので、丁寧に進めていきました。苦労も多かったことは確かですが、とても貴重な経験になったと思っています。
―― アスリートのパフォーマンスを第一に考えての交渉では、ご自身がアスリート時代に経験してきたことが生かされた事も多々あったと思います。
交渉相手としても、私が元アスリートであるからこそ、説明にも耳を傾けてくれた部分もあったかと思います。ただ、私が元アスリートということとは無関係に容赦なく要求してくるIFがほとんどでした。
大会1年前(延期前)に来日したIOCバッハ会長(2019年7月)
―― 準備を進めていく中で、思い描いていた東京オリンピック・パラリンピックの姿があったと思います。実現できたこともあれば、コロナ禍ということもあって理想通りとはいかなかったこともあったと思いますが、いかがでしたか。
コロナ禍になる前の2019年の夏、本来なら東京オリンピック・パラリンピックの開催1年前だった頃、IOCのトーマス・バッハ会長が視察に来日されました。その際「これほど準備ができた大会は見たことがない」と言われたほど、しっかりと準備が進められていたんです。ところが、その後にコロナ禍となり、開催自体が危ぶまれたわけですが、日本だったからこそ延期という前例のない事態にも対応することができたのだと思います。
競技スケジュールに関しては、そっくりのそのまま1年ずらすだけで済みましたが、スポンサーなどとの契約を延長したり、新たにコロナ対策も図らなければならなくなりましたので、過去にはない厳しい状況に置かれていました。それでも無事に開催することができましたし、今回の知見が今後さまざまな大会やイベントに生かされていくという点でも非常に良い経験になったと思います。
―― コロナ禍で準備をするにあたって、どんなところに腐心されたのでしょうか。
例えば競技スケジュールを決めるにあたって、開催国の日本としては大勢の人に見てもらわなければ自国で開催する意味も半減してしまいますので「この時間にこの競技をやりたい」という主張があるわけです。しかし、アメリカを筆頭に世界各国に東京オリンピック・パラリンピックの放送権を持つテレビ局がありますので、いくら開催国とはいえ、日本の意見がそのまま通るものではなく、調整が必要でした。各国のテレビ局と直接交渉するのは、OBS(オリンピック放送サービス:IOCの傘下にある組織で、オリンピック・パラリンピックのホストブロードキャスター。組織委員会、IOC、放送権をもったテレビ局と協力しながら、テレビ・ラジオ番組の制作を監督している)ですので、私たち組織委員会はOBSを通してテレビ局と調整していったわけですが、いずれにしてもその国のスター選手の競技を、自国のゴールデンタイムに放送したいのはどこのテレビ局も同じで、その中で良い方法を最後まで模索していくという作業が続きました。
また、競技会場によっては「この時間帯では、試合が終わった時には終電に間に合わない」という問題もありましたので、こうした点も踏まえて調整が必要とされました。しかも、競技期間はこれまでと同じ日数の中、オリンピックは過去最多の33競技339種目が実施され11,092人の選手が参加、パラリンピックは22競技539種目で過去最多の4403人の選手が参加しました。これをさまざまな条件をクリアさせたうえで、各国のテレビ局にもある程度納得していただかなければいけませんでしたので、競技スケジュールの調整は一筋縄ではいきませんでした。もちろん私一人の力ではなく、組織の力でやり遂げられたことでした。その結果、オリンピックもパラリンピックも、毎日のようにメダリストが誕生するといった、日本にとってもバランスの良い競技スケジュールをたてることができました。
スポーツディレクターを務めた小谷実可子さん
―― 確かに、日本にとっては毎日、話題に事欠かない日程となっていました。その意味では開催国の利点となったわけですが、反面、コロナ対策には苦労されました。
私がスポーツ庁長官に就任するにあたって、2020年10月1日から組織委員会のスポーツディレクターを務めていただいた小谷実可子さんは、新型コロナウイルス感染症の対策において非常にご苦労されたと思います。新型コロナウイルス感染症が世界中に蔓延し、パンデミックとなった中、当時は「本当に東京オリンピック・パラリンピックが開催されるのだろうか」あるいは「この状況で東京オリンピック・パラリンピックを開催していいのか」という不安が広がっていました。そうした中、「安心・安全な大会」の開催実施に向けて、奔走していらっしゃいましたので、無事に開催することができて本当に良かったと思います。
新しい時代の楽しみ方が生まれた大会に
無観客の柔道会場
―― 東京オリンピック・パラリンピックは原則として無観客で行われました。元アスリートである室伏長官から見て、パフォーマンスに大きな影響はあったと考えられますか。
何千、何万人もの観客席を持つスタジアムやアリーナで競技をする一番の意義は、観客にパフォーマンスを見てもらうということだと思います。また会場の雰囲気というのも、観客と一体となって作り上げていくものです。そう考えると、やはりアスリートにとって観客がいるのといないのとでは、意味合いが違ったと思います。
―― 現役時代、観客からの声援や拍手が力になったと感じられていましたか?
観客が直接的にアスリートのパフォーマンスに関わるというよりも、例えばアスリートの最高のパフォーマンスを引き出す要素の一つとして、オリンピックやパラリンピックが持つ独特の会場の雰囲気があると思います。その雰囲気を作り出すためには、アスリートはアスリートのパートがあり、観客には観客のパートがあるんです。それが合わさって、あのような緊張感と高揚感のある会場の雰囲気が作られていくので、やはりアスリートのパフォーマンスには、観客が非常に重要な要素の一つだということが言えるのではないでしょうか。
―― そういう意味では、無観客で開催されなければならなくなった東京オリンピック・パラリンピックは、とても残念でした。
ただ、テレビやインターネットを通して見てくださった方がたくさんいらっしゃいました。もちろん競技会場に足を運んで生で見るのが一番ですが、好きな時に好きな競技を見ることができるテレビやインターネットというツールは、今の時代に合っていますし、これはこれで新しいオリンピック・パラリンピックの楽しみ方だったと思います。おそらくこれからは、こうした楽しみ方がさらに成熟していくのだと思いますので、東京オリンピック・パラリンピックはそのスタートとしても、大きな意味があった大会になったのではないでしょうか。