徹底的な感染対策が開催実現へのカギ
菅首相
―― 新型コロナウイルスの感染状況ですが、夏過ぎには一度収束への期待が膨らみましたが、寒さとともに再び猛威をふるい始めました。世界ではロックダウンなどの延期が相次ぎ、そして日本国内でも感染者や重傷者が激増し"第三波"が訪れています。特に東京を始め、首都圏を中心に感染者数が拡大し続けています。
こうした厳しい状況のなか、「果たして来年の夏に東京オリンピック・パラリンピックは開催できるのか」という疑問の声、「中止にすべきだ」という声が挙がっています。武藤さんの率直なご意見をお聞かせください。
これほどまでに世の中の見通しが立たないというのは、戦後の時代を生きてきた私たちにはなかったことだと思います。そういうなかで果たしてどうすべきかということになるわけですが、私は東京オリンピック・パラリンピックを開催できるのか、できないのかを議論するというのは少し違うような気がするんです。というのも、平和の祭典であるオリンピック・パラリンピックの価値というのは、このコロナ禍においても何ら変わらないはずです。IOCが定める「オリンピック憲章」の前文にはオリンピズムの根本原則として、こう書かれてあります。
<オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。その目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く、平和な社会の確立を奨励することにある。>
つまり、オリンピック・パラリンピックは、スポーツを通じて人々が団結し、ひいては世界平和につなげる大会なのです。それはコロナ禍の時代にも全く変わりません。だからといって「できる・できない」という問題が容易に解決できるわけではないことも事実です。しかし、私たち人類にとってオリンピック・パラリンピックを開催することに重要な意味があるのだとするのならば、「できる・できない」という最終解答を急ぐ議論ではなく、まずはとにかく「どうすれば開催できるのか」ということを議論して、その方法を模索していくべきではないかと思います。
99代内閣総理大臣に就任した菅義偉首相も、9月26日の国連(国際連合)総会の一般討論演説で東京オリンピック・パラリンピックにも触れ、「人類が疫病に打ち勝った証として、東京オリンピック・パラリンピック競技大会を開催する決意です。安心安全な大会に皆さまをお迎えするために、今後も全力で取り組んでまいります」と述べられました。また、11月21日にオンライン形式で開催されたG20サミット(主要20カ国の首脳会議)でも同様のメッセージを発信しているわけですから、われわれ組織委員会としては、開催する方向で取り組むこと以外にないと思っています。そして開催するにあたって最大の課題は、新型コロナウイルス対策に尽きます。
武藤敏郎氏(当日のインタビュー風景)
―― その新型コロナウイルスへの対策ですが、最も有効と考えられているワクチン接種が各国で始まっています。日本でも政府は来年2月下旬にはワクチンの接種が開始できるように準備を進めているようですが、WHO(世界保健機関)が指摘しているように現在は主に先進国に限られています。これが全世界にいきわたることが、東京オリンピック・パラリンピック開催の実現をもたらすカギとなるのではないでしょうか。
私もそう思います。ただ、イギリスや南アフリカ、ブラジルなどを発祥とする変異種が発見され、今後もさらに広がっていくとみられています。ですから現在のワクチンが、どれほど新型コロナウイルス感染の収束に向けて有効かは定かではありません。しかも、変異種は従来のウイルスよりも感染力も強いと言われている。今のところ現在のワクチンが効かないという報告はないとされていますので、有効である可能性が高いと思われますが、まだワクチン接種は始まったばかりですので不明なことが多い。副作用も含めて、これからだと思います。ワクチン接種に対する意識調査でも、約3割と意外と多くの方がワクチン接種を希望していないようですね(例:2020年12月に調査会社のクロス・マーケティングが行ったネット調査では「接種したくない」と答えた人は29%)。それだけワクチンに対しては不確定要素が多く、信頼性で言えばまだまだといったところなのでしょう。
そうした中で、アスリートへのワクチン接種の影響についても慎重に進めなければいけないと思います。もちろん、ワクチン接種が世界に行き渡ることによって、より良い方向へ進むことは間違いないでしょう。しかし、やはりワクチン接種も万能ではないということも理解して、新型コロナウイルスへの対策を進めていかなければいけない。つまり、結局一番重要なのは「感染しないこと」「感染させないこと」に尽きるのではないかと思います。
1年延期された東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けての経緯をお話しますと、6月に開催するにあたっての3原則が取り決められ、7月には競技会場と競技日程が確定しました。大会の屋台骨でもある会場と日程が決まったことによって、開催に向けて大きな一歩を踏み出すことができたと思います。そのなかで新型コロナウイルス対策について本格的に動き出したわけですが、私は森喜朗組織委員会会長に「私たち組織委員会だけではとても手に負える問題ではないと思います。国と東京都にも協力を要請しましょう」と申し上げたところ、森会長からも賛同をいただきました。私は特に国に積極的に乗り出してほしいと思っていましたので、旧知の仲でもある杉田和博内閣官房副長官に会いまして、「国として東京オリンピック・パラリンピックにおける新型コロナウイルス対策会議を立ち上げていただきたい。あなたが座長を引き受けていただければ、私も副座長として出席します」とお願いをしました。そうしたところ、しばらくして杉田さんから「(2カ月後の)9月には会議を立ち上げましょう」というお返事をいただきました。それから実際にとんとん拍子で話が進みまして、東京都や厚生労働省、出入国在留管理庁などの関係省庁のメンバーで構成された「新型コロナウイルス感染症対策調整会議」が新設されました。9月4日に初会合が行われ、12月までに6回の会議が行われました。私もすべて出席しておりますが、こうした会議が行われなければ、これほどの短期間で迅速にことは進まなかったと思います。
―― 12月2日には中間整理がまとめられ、外国人観客の対応や観客数の上限の問題、参加選手の定期検査実施など、具体的な方針が打ち出されました。今後はどのように進められていくのでしょうか。
今後は、中間整理でまとめられた方針に、現実の状況を照らし合わせて具体化していくという作業をしていきます。例えば、海外からの観客を入れるのかどうか、あるいは観客自体を入れるのかどうかについては、世界や日本国内の感染状況を鑑みて、来春には決めたいと考えています。そのほかにいろいろと細々とした課題がありますけれども、来年1月以降、順に具体化していきたいと思っています。東京オリンピック・パラリンピックの各競技のテストイベントが3~5月あたりに予定されていますので、新型コロナウイルス対策についてもそのテストイベントがチェックする機会になろうかと思います。検討されてきた対策を実際に行うことによって、本番に向けたさまざまな知見が得られるはずですので、それを踏まえたうえでぎりぎりまでブラッシュアップし、遅くとも来年6月頃には最終的な対策を取り決めていけたらと考えているところです。
スピーディに進行中のクラスターを発生させない対策への議論
―― 東京オリンピック・パラリンピックの開催について、国民が不安に感じていることの一つとして、海外の感染状況の深刻さが挙げられるかと思います。観客はともかくとして、果たして海外からアスリートを招集できるのかということに対して情報が乏しいわけですが、IOCとは話し合いが行われているのでしょうか。
海外からのアスリートの招集についても、もちろん組織委員会とIOCとで濃密な話し合いが行われています。先述した「新型コロナウイルス感染症対策調整会議」が発足して以降、会議が行われるたびにIOCにも会議の内容を報告しております。実は、日本が対策について迅速に進めているあまり、IOCはそのスピードに目を丸くしている状態で「日本の誠実な対応はさすがだ」と高い評価をしてくれています。もちろんIOCから各競技のIF(国際競技連盟)、各国のNF(国内競技連盟)にも情報が伝わっているはずです。また、組織委員会の方からもIFとのリモート会議では調整会議で話し合われたことについてはすべて報告していますので、東京オリンピック・パラリンピックでの対策について共有することができています。結局はアスリートたちを呼び寄せることができなければ、オリンピック・パラリンピックは開催することはできないわけですから、そのためにわれわれ組織委員会も今、必死になって国や都と連携しながら対策を講じているところです。12月の中間整理では方針はまとまりましたが、まだ具体的な道筋が見えてきていないところもあるかもしれません。しかし、まだ明文化されてはいないものの、その裏にはしっかりと検討を重ねている対策案がありますので、それを間もなく具現化していくことによって、皆さんにも安心していただけるのではないかと思っています。
リモートマッチ(無観客試合)で行われたJ1の川崎対鹿島戦(2020年7月)
―― また、コロナ禍におけるスポーツの新しいスタイルとしては「無観客」ということも十分に考えられるかと思います。
スポーツが"withコロナ時代"を生き抜くうえでは、ITを駆使するなどして、無観客でもいかにしてスポーツを楽しむことができるか、東京オリンピック・パラリンピックはそのロールモデルとなるのではないでしょうか。
東京オリンピック・パラリンピックにおいて「観戦」ということを考える時、国内の観客と、海外からの観客とを分けて考えています。
国内では現在も観客を入れてのスポーツイベントが行われていますし、11月には横浜スタジアムと東京ドームで行われたプロ野球の試合では、8割の観客を動員しての検証が行われましたが、クラスターが発生したという報告はありません。ですので、国内の観客については、100%の動員は無理かもしれませんが、ある程度の数の観客動員は可能だと考えていますので、完全な「無観客」というスタイルは今のところ考えていません。
問題は、海外からの入国者への対応ですよね。まずは海外のアスリートへの対策をお話しますと、来日するにあたって現地を出国する72時間以内にPCR検査をしてもらい、陰性だったという証明書を持参することを義務付けます。さらには出国前の14日間の行動や健康状態を記録したものを持ってきてもらい、提出してもらいます。また機内など渡航時での感染も考えられますので、入国時にも必ずPCR検査をしてもらい、そこで陰性という結果が出たアスリートだけが入国できるようになります。空港から選手村に向かう際には公共交通機関は使わずに、専用車両で移動し、入村後は不要な外出は禁止などの行動ルールを設けます。大会期間中、競技会場と練習会場との往復の移動も専用車両を使用し、一般の方との接点がないようにします。さらに選手村においても4~5日に一度、加えて競技本番の2、3日前にはPCR検査をして、アスリート間でクラスターが発生しないようにする。このように徹底的な対策を構築することで、海外からのアスリートの派遣も可能ではないかと考えています。そしてアスリートと行動を共にする選手団のスタッフにも、アスリートと同じことを義務付けます。
一方、アスリート以外の海外からの入国者については議論が続いています。IOCやNOC(国内オリンピック委員会)などのメンバー、メディアに対してはどこまでを義務付けるかと言いますと、渡航前や空港でのPCR検査などはアスリートと同じ扱いにしますが、入国後の定期的なPCR検査や公共交通機関での移動についての制約はある程度、緩和せざるを得ないところもあるかもしれません。特にメディアに対して行動範囲を狭めるということは難しいので、アスリートと同等の扱いとはいかないかなと。また、もし海外からの観戦者を入れるとした場合、入国までは同じですが、その後、14日間の健康観察を必要とするのかどうか、ということについては日本政府がどうするかを決めることになります。
アスリート以外の外国人の大会時の入国については、今後の感染状況によって対応が分かれてくると思いますが、もし入国を許可するとなった場合、政府は専用アプリを使って健康状態や行動を記録し、競技会場に入る際にチェックできるようにしてクラスターを防ぐ対策を考えているようです。いずれにしても、日本政府はかなり真剣に取り組んでくれていることは確かです。東京オリンピック・パラリンピックにおける新型コロナウイルス対策にかかる費用は960億円と計上されていますが、このうち半分以上の560億円を国が負担すると、政府の方から言ってきてくれたんです。そして残りの400億円を東京都が負担することになりました。東京都はもちろん、政府も東京オリンピック・パラリンピックを自分たちのこととしてしっかりと考えてくれていますので、国民の皆さんにはご安心いただけたらと思います。ただ、世界の状況を見ますと、アメリカは新型コロナウイルスによる死者数が増加しており、イギリスやドイツなどのヨーロッパではロックダウンの状態が続いています。こうした状況が続けば、海外から観戦者を呼び寄せるわけにはいかないだろうということになります。ただ、欧米ではワクチン接種が12月から始まっていますので、少しずつ好転していくことを願っています。
武藤敏郎氏(当日のインタビュー風景)
―― 新型コロナウイルス感染の対策に伴う追加費用は約3000億円となりましたが、大会を簡素化し、約300億円を削減する見通しです。これは全体予算1兆3500億円の約2%ではあるものの、それでも削減するのは一筋縄ではいかなかったと思います。
おっしゃる通りで、大変な作業でした。というのも、今年の春までに予算の80%以上はすでに支払いが確定していましたから、事実上、見直しの対象は1兆3500億円のうち2500億円ほどだったんです。そのうち10%以上の300億円を削減するというのは、ふつうの事業では考えられないことです。せいぜい頑張って5%がいいところだと思います。いずれにしても、何をするにもほとんどのケースがIOCの承諾がなければ手をつけられませんので、予算を削減するのにIOCも協力してくれたことが大きかったですね。