コロナ禍での大会開催にこめられた「スポーツの火を消さない」という思い
箱根駅伝スタート風景(2021年1月)
―― 昨年から新型コロナウイルスの感染拡大によって、さまざまなスポーツイベントが中止、延期となっています。それでも感染対策をした中で開催を実現させた大会もあります。たとえばお正月の風物詩である「東京箱根間往復大学駅伝競走」は、今年も1月2、3日に行われ、劇的なドラマが生まれました。
開催にあたっては、選手や関係者への検温、ウォーミングアップやレース中の選手以外のマスク着用を義務付け、円陣や胴上げ、次走者への声かけを禁止するなど、厳戒態勢がしかれました。そして沿道の応援も自粛を促した結果、前年比85%減にまで抑えました。
ただ、感染状況はいまだに収束の見通しは立たず、1年延期となった東京オリンピック・パラリンピックの開催も危ぶまれています。
正直に申し上げますと、昨年の今頃の心境としては、「絶対に予定通り、東京オリンピック・パラリンピックを開催してほしい」というのが本音でした。4年という歳月をかけて苦しいトレーニングに耐えてきたアスリートたちのことを考えれば、どの競技の関係者も同じ気持ちだったと思います。とはいえ、やはり得体のしれないウイルスが世界中で猛威をふるっているという状況に、不安や心配する気持ちも少なくありませんでした。結局、3月24日にIOC(国際オリンピック委員会)から延期を決定したという発表があったわけですが、その時は「果たして、どうしていくべきだろうか」と頭を抱えました。ただ、とにかく陸上の火は消してはいけないと思いましたので、2020年度に予定されていた大会は実施の方向で動いていたんです。しかし、4月7日に緊急事態宣言が発出された時に、「これではとても無理だ」と思いました。強行に大会を開催して感染者を一人でも出せば、日本のスポーツ界全体が崩れ落ちていくと思ったのです。そこで日本陸連は、全国の陸上関係者に6月までは大会やイベント開催を控えてほしいと通達をしました。
もちろん、その間ただ手をこまねいていたわけではありません。7月からは開催できるようにと、ガイダンス作成にとりかかりました。日本陸連では指導方針として一連の行動を決定する「ガイドライン」ではなく、手引きである「ガイダンス」としたのは、各自治体によって状況が異なりますので一概には言えないところが多々あるだろうと。状況に見合った対策をしてもらうためには、ガイダンスの方が使いやすいだろうと考えたからです。そこで5月14日にスポーツ庁から発表された「社会体育施設の再開に向けた感染拡大予防ガイドライン」や、日本スポーツ協会と日本障がい者スポーツ協会が作成した「スポーツイベント再開に向けた感染拡大予防ガイドラインについて」をベースにして、感染学の専門家からもお力添えいただきながら陸上競技の特性を考慮したガイダンスを作成しました。6月21日に概要、同月25日にガイダンスの資料を日本陸連の公式ホームページから誰でも閲覧できるようにし、その後も改訂するたびに公式ホームページで発表しています。その時から変わっていないのは「どうしたらやれるか」というスタンスで考えているという点です。特に自粛期間中は当然アスリートも自宅にこもることしかできず、ある意味、世界が閉ざされた状況だったと思うんです。ですから、とにかく小さくてもいいからアスリートたちがお互いに顔を合わせられる活動の場を用意したいという思いが一番でした。一方で、世間一般の皆さんにどう納得していただけるかということが一番気がかりでしたので、ガイダンスを提示することによって、少しでも理解を得られればという思いでした。
セイコーゴールデングランプリ会場全景(2020年8月)
―― その後、8月にはセイコーゴールデングランプリ、10月には日本陸上競技選手権大会(以下、日本選手権)、12月には長距離種目の日本選手権を開催しました。
8月23日に新しい国立競技場でゴールデングランプリを開催した時には、「日本のスポーツ界は決して立ち止まってはいないぞ」ということを陸上競技からも発信できたという思いがありました。また、10月1~3日にはデンカビッグスワンスタジアム(新潟)で日本選手権を開催したわけですが、これも大変な苦労がありました。新潟県は全国の中でも非常に感染者数が抑えられていますので、そこに県外から大勢の人たちが入ってくることに強い抵抗感を持たれていたんです。それは当然だったと思います。しかし、観戦者を新潟県民に限定するなどの条件を提示するなどして理解を求め、新潟県陸上競技協会のご尽力のおかげもあって、なんとか開催することができました。続いて12月4日にはヤンマースタジアム長居(大阪)で東京オリンピック日本代表選手選考会を兼ねた長距離種目の日本選手権も無事に実施することができました。当時の思いとしては、1年後の東京オリンピック・パラリンピックにつなげていきたいということと同時に、トラック&フィールドに続いてロードレースも対策を講じれば開催することができる、ということを示すことが使命としてありました。しかし、競技場という箱の中で行われ、行動範囲が限られているトラック&フィールドとは異なり、公道を使用するロードはどうしても一般の人たちとの接点がありますので、行政や警察官の理解と力添えが必要になり、開催のハードルは非常に高いものでした。
そんななかで12月20日には全国高等学校駅伝競走大会を京都市で開催したわけですが、正直に申し上げますと、直前まで本当に開催できるかどうかわからない状況でした。実は大会2日前の18日に京都府内の14の病院長が医療のひっ迫している状況について声明を出されていましたので、関係者の間でも開催すべきどうか本当に悩みました。しかし、きちんと予防対策は講じていましたし、今ここでコロナ禍でも開催できるということを全国の皆さんに示さなければ、東京オリンピック・パラリンピックの開催を世論が納得した状況で開催することはできないだろうと。そんな思いの中で開催を決断しました。
日本陸上競技選手権2020 男子100m決勝(2020年10月)
―― 昨年、大会を開催してみて、予防対策という点において東京オリンピック・パラリンピックに向けて手応えや課題を感じたことはありましたでしょうか。
密を避けるための導線の引き方という点については、ある程度、形作られたかと思います。他競技においても大会は開催されていますし、組織委員会の方々もそれらを視察されていますので、昨年一年間でスタジアムの中でスポーツイベントを行うためのノウハウは構築できたのではないかと思っています。ただ、問題は観客です。例えば、スタジアムの観客席に一席ごとに間隔をあけて座っていただくようにしたものの、試合が盛り上がっていくと、どうしても近づいて声援を送るという様子も見受けられました。本来であれば、スポーツ観戦というのはそうした盛り上がりこそが醍醐味なわけですが、このコロナ禍においては観客同士で接する機会を減らせるように、どうコントロールしていくか、それこそ海外の方たちをお招きした場合は、その点がより問われてくると思います。
東京オリンピック・パラリンピック開催に不可欠な"安心・安全"の提示
1964年東京オリンピック。マラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉(左)
―― 半年後に迫った東京オリンピック・パラリンピックの開催については、否定的な意見も少なくありません。東京オリンピック競技大会日本代表選手団総監督であるの尾縣さんとしては、コロナ禍の中で開催する意義について、どのようにお考えでしょうか。
そもそもスポーツには、人に元気を与える、健康にする大きな力があります。いつの時代も人は、体を動かすことで心身を健康に保ってきたわけです。そう考えれば、人が生きていくうえでスポーツはなくてはならないものと言えると思います。しかし、今はそのスポーツの必要性を忘れかけてしまっているのかなと。だからこそ、アスリートが頑張っている姿や美しいパフォーマンスに心震わせ、鍛え上げてきた肉体美に魅了されることによって、スポーツの力を再確認する場が必要とされているのではないでしょうか。その最たるものがオリンピック・パラリンピックだと思います。私自身は64年に東京オリンピックが開催された時は5歳だったのですが、日本でオリンピックがあったことは記憶には残っていないんです。にもかかわらず、東京オリンピックで"東洋の魔女"と呼ばれた全日本バレーボール女子がソ連(当時)を破って金メダルを取ったとか、陸上競技ではマラソンでアベベ・ビキラ(エチオピア)が史上初の連覇をした、あるいは銅メダルを獲得した円谷幸吉さんの国立競技場での激走シーンとか、たくさんの名シーンを挙げることができます。さらには開会式で流れた「東京オリンピック・マーチ」を耳にするたびに心が躍ります。そんなふうに東京オリンピックを実際には見ていない人たちまでが当たり前のように知っているくらい、ずっと語りつがれてきたわけです。それほどオリンピックは人々に影響を与えるものだと思うんです。今年、東京オリンピック・パラリンピックが開催されれば、きっとその後の人生を輝かせてくれる財産を得られると思います。だからこそ、東京オリンピック・パラリンピックは開催してほしいですし、私たちも開催を信じてできる限りのことをしていきたいと考えています。とはいえ、一向に感染が収まらない中では、東京オリンピック・パラリンピックが必要なものとは考えられないということも十分に理解しています。だからこそ今、安心・安全に開催できるという根拠を示すとともに、国民の皆さんにもスポーツの力を理解していただけるようなメッセージを発信していくことが重要だと思っています。
2020東京オリンピック日本選手団団長福井烈氏(左)と総監督尾縣氏(2018年)
―― 実際に東京オリンピック・パラリンピックを開催するにあたって、最も重要なこととは何でしょうか。
安心・安全に開催できるという具体的な感染予防対策を明確にし、国民の皆さんにしっかりと提示して理解していただくことに尽きると思います。これに関してはスポーツ庁や東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の担当する事柄になりますが、私たちNF(国内競技団体)やIF(国際競技団体)が考えなければいけないのは、公平で公正な代表選考をすることです。それができなければ、たとえ東京オリンピック・パラリンピックを開催したとしても、真の"世界一決定戦"にはなりません。それでは成功とは言えないと思います。
―― 国内での理解や気運が高まったとしても、やはり海外の情勢が好転していなければ、東京オリンピック・パラリンピックの成功どころか開催は不可能です。世界の現況は、どのように把握されているのでしょうか。
東京オリンピック競技大会日本代表選手団総監督の立場から、各NFとはそれぞれ1時間ほどのヒアリングをするなどして、世界の情勢、各競技の状況、東京オリンピックを開催するためにはどうしたらいいのか、ということについてやり取りをしています。また、月に一度はオリンピック全33競技のNFの責任者を集めてオンライン会議を開いています。 ただ、残念ながら現在のところは好転しているという状況の報告は皆無に等しく、どこの国・地域、競技団体も停滞している状態です。世界のスポーツ界に蔓延している閉塞感をなんとかやわらげていかないと、東京オリンピック・パラリンピック開催への光は見えてこないと思いますので、開催地である日本から積極的に発信していきたい。そのためにも、まずは安心・安全で開催できることを明確に示していく必要があると思います。
スポーツ界にも求められている多様性
マルクス・レーム選手。
2016年リオ・パラリンピック
―― 近年では、障がいのある選手がオリンピックに出場することについてはさまざまな意見があります。2016年リオデジャネイロ大会の時には、走幅跳(片脚下腿切断)の世界記録保持者、義足ジャンパーのマルクス・レーム選手(ドイツ)が「オリンピックとパラリンピックの両方に出場したい」という意向を示し、国際的な議論が巻き起こりました。結局、IAAF(国際陸上競技連盟=現ワールドアスレティックス・WA)が求めた「競技をするうえで義足が有利でないことの証明」を提示することができず、レームのリオオリンピックへの参加は見送られましたが、この問題についてはどんなお考えをお持ちでしょうか。
パラ陸上の世界記録でもある彼の自己ベスト(8m48)は、リオオリンピックの金メダリストの記録(8m38)を超えていて、実際に彼の跳躍は迫力があって魅力的です。義足を履けば簡単に跳べるものではなく、それだけのトレーニングと技術が必要であることは事実だと思います。ただIAAFが要求したように、義足が有利に働くことがないと証明されない限り、公平・公正なレースというのは難しいのかなと思います。2012年ロンドンオリンピックには、両脚大腿切断のオスカー・ピストリウス選手(南アフリカ)が400mに出場して話題となりましたが、私も現地で彼の走りを見ました。間近でレース前のウォーミングアップを見ても、一度スピードがつくと加速力がすごいんですね。「これはやはり有利なんじゃないかな」と感じたというのが正直なところです。本当に難しい問題で、どういう判断をすべきかということについては、私自身、明確な答えは導きだすことはできていません。ただ思うのは、パラリンピックや障がい者スポーツを、オリンピックや一般の競技と"別世界"にしてはいけないと思っています。同じスポーツ、同じアスリートとして評価され、それを見た人たちが元気や勇気を与えられるものとして共に歩んでいく形が望ましいと思います。特にパラリンピック競技は、障がいがあっても夢や目標を持つことができる、そんな生きる希望を与える大きな役割があると思うんですね。そう考えると、単に大記録だけを求めていくのは少し違うような気もしています。いずれにしても、すぐに答えが見つかるような問題ではないと思いますので、議論を重ねていくことが大事だと思います。
日本パラ陸連会長 増田明美氏
―― 今やオリンピック・パラリンピックの成功は、パラリンピックの成功なくしては考えられないほどになっています。テニスやカヌーなど、健常者と障がい者の垣根を超えて、IFが一つになっている競技もあります。国内でもサッカー界では、JFA(日本サッカー協会)の加盟団体として、障がい者サッカーの7競技団体を統括するJIFF(日本障がい者サッカー連盟)が2016年に発足し、JFAと障がい者サッカー団体をつなぐ中間支援組織となっています。日本の陸上界ではどのような交流があるのでしょうか。
国内には障がい者の陸上競技団体は、日本パラ陸上競技連盟をはじめ、日本知的障がい者陸上競技連盟、日本聴覚障害者陸上競技連盟など、いくつもあります。そこがまずは一つにまとまったうえで、次に日本陸連としてどのように関わっていくかということになるのだと思います。いずれにしても何らかの形で関りを持ち、同じ陸上競技として発展していきたいと考えています。すでに日本パラ陸連とはさまざまな交流が図られていまして、例えば、増田明美さん(1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表。現在はジャーナリスト、解説者、タレントとして幅広く活躍)が、2018年からパラ陸連の会長を務められています。さらに2022年に神戸市で開催される予定の世界パラ陸上選手権の大会アンバサダーには野口みずきさん(2004年アテネオリンピック女子マラソン金メダリスト)が就任しました。また、昨年は実現できませんでしたが、過去には何度も日本陸連が主催するゴールデングランプリや織田幹雄記念国際陸上競技大会などでパラ陸上の選手がエキシビジョンで参加するなど、さまざまな交流が行われていまして、協力体制がしかれています。
セメンヤ選手。2017年世界陸上
―― 陸上に限った話ではありませんが、スポーツ界においてもLGBT(セクシュアル・マイノリティの総称のひとつ)の問題を見過ごすわけにはいきません。
LGBTについては、すぐにでも取り組まなければいけないと思っています。選手の立場や心情を考慮することはもちろんですが、スポーツという領域だけでは答えを導き出せない問題ですので、人権、科学、心理など、さまざまな分野の専門家の知恵をお借りしながら、スポーツ界が他をリードして解決していくべきことだと考えています。すでに陸上では、女子800mでロンドン、リオと2大会連続で圧倒的な差で金メダルを獲得したキャスター・セメンヤ選手(南アフリカ)が、筋肉量などの増加を促す男性ホルモンであるテストステロンの値が、一般の女性よりも高く、女子選手としての国際大会出場資格をめぐっての法廷上の争いが起きています。IAAFは薬などでテストステロンを基準値まで下げなければ出場を認めないと規定し、それに対してセメンヤ選手はスポーツ仲裁裁判所(CAS)に異議申し立てをしましたが、退けられました。スイス連邦最高裁にも上訴していましたが、昨年9月にセメンヤ選手が敗訴となっています。
国際陸連会長 セバスチャン・コー氏(2019年)
―― セメンヤ選手については、ドーピング問題にもかかわってくる難しい問題です。このような明確に白黒はっきりさせることが難しい問題がスポーツ界に山積している現状をどのように見ていらっしゃいますか。
多様化が求められていく時代のなかで、スポーツ界も見過ごすことができない問題が増えてきていると感じています。これまで常識とされてきたものを、いろいろと見直す時期に来ているのだと思いますので、さまざまな意見を取り入れて、今後のスポーツ界発展のためにもしっかりと正面から向き合っていかなければいけないと思っています。これは日本スポーツ界、日本陸上界のビジョンに関わってくる問題でもあります。日本陸連ではすべての人がすべてのステージにおいて陸上競技を楽しめる環境づくり「ウェルネス陸上」の実現に向けて、2018年11月に新プロジェクト「JAAF RunLink」を発足しました。トップアスリートの育成・強化に限らず、これからは誰もがそれぞれのライフスタイルに合わせたランニングを楽しめる環境・機会を提供していきたいと考えていますが、LGBTDの問題は、このプロジェクトにも深く関わってきますので、日本陸連としてもしっかりと考えていきたいと思っています。