「ブーム」ではなく「文化」としての期待
1983年のウエールズ遠征時の日本代表(前列椅子席右から4人目)
―― あれはご自身の意思だったんですね。その後、日本ラグビー界は変化を求めて行きます。アマチュアの総本山といわれた協会がプロ化に向けて模索しますが、それはいつ頃からだったのでしょう。
世界のラグビーがW杯中心に動き始めてからだと思います。特に1991年にイングランドで2回目のラグビーW杯が開催されたことが大きかったですね。まさかラグビー発祥の地のイングランドまでプロ化に動くというのは予想していなかったことで、日本は完全に乗り遅れました。当時の日本は、まだアマチュア精神を頑なに守っていたんです。ようやく1995年にプロ解禁となりましたが、それでも完全なるプロ化ではなくオープン化という曖昧なものでした。本当に変わっていったのは、2001年に東京大学ラグビー部出身で東芝副社長を務めた町井徹郎君が日本ラグビーフットボール協会会長となり、日本代表監督時代にはスコットランド戦勝利に導いた宿澤広朗が会計役となってからですね。それが、その後エディ・ジョーンズ(現イングランド代表監督)を指揮官に迎えることに繋がりました。
早大教授としての最終講義を終えた後のパーティでの鏡割(左から4人目、リーガロイヤルホテル、2005年)
―― ラグビー界が変化していく中で、日本でのラグビーW杯開催の話があがり、はじめは2011年に招致しようと動きました。その招致委員会委員長が日比野さんでした。
招致委員会には町井徹郎(元日本ラグビーフットボール協会会長)、堀越慈(元日本ラグビーフットボール協会理事)、真下昇(2015、2019招致委員会委員長)、そして私が幹部にいまして、W杯を招致しようということで動き始めました。当時は日本でのラグビー人気が落ちてきていた時期でしたし、日本代表の実力も不足しているということで周囲からは「時期尚早」という声が多かったんです。それでも私たちは「やるべきだ」ということで名乗りを挙げました。当時、ラグビーW杯はIRB(国際ラグビーボード)の加盟国である欧州と南半球だけで開催されていたんです。ラグビーの熱狂的な国ばかりでしたから大会の盛り上がりとしては良かったのかもしれませんが、それでは世界に広がっていかないだろうと。サッカーのように「ワールド・スポーツ」にするには、やはりアジアでの開催が必須だろうということで手を挙げたんです。当時は、それこそ香港との共催でもいいと思っていました。とにかくIRB以外の国・地域でラグビーW杯を開催することが必要なのでは、ということをIRBのメンバーにも申し入れました。また、国内の「時期尚早」という意見の人たちに対しては、日本が強豪国になるために、またラグビーをワールド・スポーツにするために、日本にラグビーW杯を招致したいんだということを説明しました。他の競技大会やイベントでもそうですが、日本人というのは開催する前はいろいろとネガティブな意見が出ても、いざ開催すると盛り上がるというところがありますよね。ですから、実際に日本でラグビーW杯が開催するとなれば、強化も進むだろうし、ラグビーへの関心も高まるだろうと。そういうことでラグビーW杯を招致しようとしたわけですが、やはりIRBの壁は厚く、招致は成功しませんでした。
―― しかし、2011年大会に名乗りを挙げたからこそ、2019年大会の招致につながっていくわけですよね。
そうですね。私の後任として森喜朗会長にバトンを受けていただいて、再び招致するということになって本格的に動き始めました。その結果、2009年の会議で、2015年と2019年の2大会の開催地が同時に決定し、2015年はイングランド、2019年は日本での開催となりました。
ワールドカップ2015イングランド大会アメリカ戦勝利後の日本チーム
―― ラグビーW杯が日本で初めて、アジアで初めて、いやラグビー先進国以外では初めて開催される意義についてはどのように感じられていますか。
日本のラグビー界が発展していくかどうかが、来年のラグビーW杯にかかっていると思っています。もし日本代表が大敗を喫するようなことがあれば逆効果につながる可能性もあり、怖い部分もありますが、でも成功すれば必ず日本ラグビー界の発展につながるはずです。そういう意味では、残り1年もありませんが、日本ラグビー界にとって大きな勝負になると思います。実際、ラグビーW杯の招致に動いたからこそ、2003年には完全なプロリーグとして「トップリーグ」が誕生しましたし、競技場も準備されました。また、日本代表の強化という点でも、2015年のラグビーW杯で優勝候補の南アフリカを撃破したことは非常に大きな成果ですし、7人制ラグビーでは、2016年リオデジャネイロオリンピック男子日本代表がニュージーランドを破りました。私が生きている間に、日本が南アフリカやニュージーランドに勝つ試合が見られるなんて、夢にも思っていませんでした。さらに、「サンウルブズ」(国際大会「スーパーリーグ」に参加する日本代表チーム)を設立したことで、トップリーグで活躍した選手は日本代表活動以外でも、普段から海外の選手たちの中に放り込まれて、ぶつかり合うことができるようになりました。こうしたことは、W杯を招致したからこそ。海外のチームと互角に渡り合うだけの実力がついてきていることは確かですので、来年のラグビーW杯では初の決勝トーナメント進出もまったくの夢物語ではなくなってきていると感じています。
ワールドカップ2015イングランド大会の日本対アメリカ
―― 日比野さんが考えられる2019年ラグビーW杯の成功の条件とは何でしょうか。
まずはやはり「勝利」だと思います。世界中に放映されるわけですから、ぜひ日本の実力を見せつけてほしいですよね。今の日本は、ディフェンスが本当に素晴らしい。よくあんな体格の大きな選手を止められるなと感心しますよ。それだけのパワーと技術を兼ね備えた選手たちが揃っています。
―― 日本代表の活躍が、日本ラグビー界の未来を大きく変えていくということですね。
そう思います。よく「ラグビーブームの再来」ということが言われますが、私はブームで終わってほしくないんです。ブームはいつか消え去ってしまうものですからね。ですから、いきなりラグビー人気が復活するというような極端なものではなく、来年のラグビーW杯開催を機に徐々に右肩上がりで、しっかりと文化として定着してほしいと願っています。そのためにも、日本が決勝トーナメント進出するかどうかがカギを握ってくるとは思いますが、もし進出できなかったとしても、観客を魅了するような素晴らしい内容の試合さえすれば、きっとラグビーの面白さを知る機会になると思いますし、日本のラグビーが再び盛り上がっていく、その大きなきっかけになるのではないかと期待しています。逆に言えば、このチャンスを逃してはいけません。
ラグビー人気拡大に必要なのは広い見地
ウィルチェアラグビー日本チームはリオデジャネイロ・パラリンピックで銅メダルを獲得した
―― 普及という点では、ラグビーW杯の翌年に開催される2020年東京オリンピック・パラリンピックでの「7人制ラグビー」「ウィルチェアーラグビー」の日本代表チームの活躍も大きい意味を持つのではないでしょうか。
大きいですね。オリンピックの7人制ラグビーは、日本は強化が遅れてしまいましたが、2016年リオデジャネイロオリンピックで、男子はあのニュージーランドに勝ったんですからね。本当にすごいことですよ。また、女子の方は競技人口が少なく、普及という点ではまだまだ課題はありますが、今年のアジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ)で優勝したことは大きな弾みになったと思いますし、「やりたい」という選手も増えてくるのではないでしょうか。日本ラグビーフットボール協会の方でも、例えばビックゲームの前座で女子ラグビーの試合を行うというような工夫も必要だと思います。2020年東京オリンピックは、女性にもラグビーの面白さを知ってもらういい機会ですから、ぜひいかしてほしいなと思います。
また、ウィルチェアーラグビーは今年の世界選手権(オーストラリア・シドニー)でも優勝していますし、2年後の東京パラリンピックでも金メダル候補として注目されていますよね。障がいがあってもラグビーという競技を楽しめるというのはラグビー関係者にとっても嬉しいことですし、またこうして障がいのある方たちが一般社会に出てきてスポーツで注目されるようになったことは本当に素晴らしい時代になったなと感じています。
ラグビー競技の普及にかかせないタグラグビー
―― 競技人口の増加という点では、「タグラグビー」が小学校の体育の指導要領に入ったということも大きな意味を持っていると思います。
非常に大きいと思います。そのおかげで、子どものラグビーの競技人口は前年度よりも増加しているんです。とてもいい傾向にあると思います。
―― これから日本ラグビーが発展するためには、少子化、人口減少が進み、スポーツ離れが言われるこの時代には何が必要でしょうか。
「スポーツ離れ」が叫ばれている中、まずは子どもたちがラグビーという競技に触れることが大切だと思います。もう一つは、やはり日本のスポーツというのはヨーロッパのように地域クラブではなく、教育の一環として発展してきた歴史があって、だからこそ高校野球や大学ラグビーが人気を博したわけですけれども、そうした日本独特の教育的要素をうまく活用することが重要だと思います。そうした中で、あらゆる分野にラグビーを広げていくと。
日比野弘 氏(インタビュー風景)
そのノウハウはサッカーやバスケットボールなど、すでに日本で成功している競技があるわけですから、他のスポーツからも知恵をお借りするとか、人材を連れてくるとかということもできると思うんですね。「どうすれば、もう一度ラグビーの人気を復活させることができるのか」「新しい人たちがラグビーに目を向けてくれるのか」ということを広い見地で工夫・努力してくれる人たちとともに真剣に考えていってほしいなと思います。もう老齢の人たちが古い考えでやっていてもダメですよ。一生懸命旗を振って、ふと後ろを振り返ったら誰もついてきていなかったということになりかねません。でも、これはリタイアした私自身の反省でもありまして、これからに期待しているということでもあるんです。
―― 最後に、日比野さんにとってラグビーとはどんな存在でしょうか。
色紙を頼まれますと、「ラグビーわが師、わが愛、わが人生」などと書いているのですが、やはり一番は「わが人生」でしょうね。まさに私の人生そのものがラグビーです。