脱「スポーツ村」
愛という暴力は存在しない。
- 調査・研究
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脱「スポーツ村」
愛という暴力は存在しない。
読後評を求められたが、この本は一ヶ月以上読まれることなく机上にあった。締め切りが過ぎても読む気が起きないのだ。反省、謝罪、告訴、処罰は、マスコミの日常茶飯事だ。カメラの前で平身低頭する社長や会長の薄い頭髪だけが印象に残る。彼らは一分間近く深々と頭を下げて悲痛な声で弁明する。その後立ち上がる第三者委員会、というのも曲者だと思っている。
「日本のスポーツ界は暴力を克服できるか」という書名に「?」マークを感じた。そもそもスポーツは「人間の暴力を克服してきたもの」としての営みではなかったのか。だから僕たちは、スポーツに真と善と美を見出し魅了されてきたはずだ。殴る、蹴る、突く、逃げる、殺す。この人間の暴力性を厳しく限定し、ルールや競技性に置き換え、極北化したところにスポーツの本質があったのではないのか。であれば「暴力を克服するためにスポーツは何ができるか」が正しい問いであろうとためらっていたのだ。
ページを開いて、執筆者たちの戦いの姿にグイグイと引きこまれた。彼らはまさしく「スポーツは何をすべきか」「何ができるか」を自らに問いかけている。これは筆者らが当事者として「スポーツ界」において展開しているその戦いの中間報告とも言うべき内容になっている。
だから読んでみなくてはわからない。スポーツ界という「スポーツ村」に身をおく立場であるが故に表現は遠慮深くなったのだろう。しかし、彼らは暴力との戦いに勝利している。とくに感動的なのは、柔道女子トップアスリート15人の勇気ある内部告発とその悩みと苦しみを支えた弁護士二人のレポート。もう一つは橋下大阪市長の介入を打ち破った桜宮高校の保護者たちの取り組みレポートである。暴力、体罰の不幸を経験した後の戦いではあるが、この事後処置こそスポーツマンがとるべき真のスポーツマンシップだと思う。ここにはスポーツがめざすべき価値と、スポーツが現実社会をゆたかにしていく実証がある。スポーツは社会に貢献いている。この人たちにこそ金メダルは必要だ。
どの論考も、一般社会とスポーツ界のズレを指摘し、そこに体罰が起きる背景、原因をとらえ、具体的に対策を考えているが、中でも来田享子の「人権に配慮あるスポーツ環境をめざして」と、来田・山口香の特別対談「トップアスリートを育てる指導とは」は、感受性と具体性に富み一般社会をも触発するレポートになっている。さすが現場の人たちだ。これからの日本の改革は、スポーツ界においても、二人のような女性リーダーに期待されるべきところが多いのだろう。繰り返されるスポーツの暴力・体罰・不祥事の背景には、日本社会の特質があることはもう誰でも知っていることなのだから。
(掲載:2014年01月31日)