2018.09.10
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2018.09.10
日本でラグビーワールドカップ、東京オリンピック・パラリンピックの開催が目前に迫っている。これからの2年間、これらのメガスポーツイベントの開催に向けて、お祭りムードが高まると予想される。では、開催が終了した後はどうなるのだろうか?この議論は「スポーツイベントレガシー」として、国内・国際大会を問わず、どのイベントにおいても重要となっている。近年、学術界では、「スポーツイベントレガシー」から「スポーツイベントレバレッジ」という考え方へのパラダイムシフトが起きている。年に1度開催される北米スポーツマネジメント学会(以下NASSM)では、北米で活動する研究者を中心に、最新の研究発表が行われるが、2018年のNASSMでも、スポーツイベントレバレッジの観点からスポーツイベントの現状を分析した研究が発表された。本稿では、NASSMで発表された研究を含め、このパラダイムシフトを紹介する。
まず、スポーツイベントレガシーとは、言葉の通り、スポーツイベント開催後の遺産を示している。国際オリンピック委員会(以下、IOC)では、「オリンピック競技大会のよい遺産を、開催国と開催都市に残すことを推進すること」を1つの使命としてオリンピック憲章に明記し、各大会の開催国はレガシープランの作成が求められている(詳細は、http://www.ssf.or.jp/topics/london/tabid/678/Default.aspx)。学術的観点から見ると、Preuss (2007)はレガシーを以下の5つの側面から捉えることを提唱している。
①計画的か偶発的か
②ポジティブかネガティブか
③有形か無形か
④タイミングと期間
⑤場所
このうち、①~③はレガシーキューブとして有名であり、研究者や実務者の議論の中でたびたび用いられている。近年、Preuss (2015)は、新たに次の4つの側面について検討することの重要性も説いている。
①何がイベントレガシーなのか
②誰が影響を受けるのか
③どのようにレガシーが影響を与えるのか
④いつレガシーが生まれ、どのくらい続くのか
このようにIOCやPreuss (2007, 2015)をはじめとする多くの研究者が、スポーツイベントのレガシーとは何かの議論を展開しているが、この「レガシー」という言葉に、世界共通の定義がないことをご存じだろうか?NASSMにて、筆者も参画するミネソタ大学の研究チームがスポーツイベントレガシーの定義に関する研究発表を行った。研究チームは、英語、フランス語、中国語、日本語、それぞれの言語で書かれた学術研究の中で、スポーツイベントレガシーがどのように定義されているかを調査した。その結果、言語によって、また同じ言語内でも、研究者によって「レガシー」という言葉が示す内容が異なることが分かった(Orr, Wu, Aizawa, & Inoue, 2018)。言い換えると、レガシーという言葉の捉え方、またその言葉が示す内容は、文化や言語的背景の影響を受けて、国や人によって異なるということである。オリンピック・パラリンピックやワールドカップ、日本国内では国民体育大会など、大会毎に開催場所が異なる場合、開催地間での情報共有は重要となる。しかし、レガシーの定義が文化や言語、研究者に異なっていることを鑑みると、スポーツイベントに関わる全ての人が、同じレガシーの定義、方向性、目的を共有できているのか、という疑問も出てくる。つまり、それぞれの暗黙知によって、レガシーが認識され、議論が展開されているのかもしれない。
近年、学術界では、このレガシーに関する議論が、「何を残すか」よりも、「どのように残すのか」という考え方に変化している。これが「スポーツイベントレガシー」から「スポーツイベントレバレッジ」という考え方へのパラダイムシフトである。
「レバレッジ(Leverage)」の原義は「てこ(レバー)の作用」で「活用する」と訳されることから、「スポーツイベントレバレッジ」は「スポーツイベントの活用」と捉えられる。より具体的には、スポーツイベントへの投資に対する社会的・経済的効果を最大化する短期的・長期的なマーケティング戦略である(Chalip, 2004)。この議論は、2000年代初頭から既に台頭しており、主にスポーツイベントがもたらす
①経済的影響(Chalip 2004)
②社会的影響(Chalip, 2006)
③市民のスポーツ参加への影響(Chalip, Green, Taks, & Misener, 2016)
を最大化するための理論的枠組みが提唱されている。つまり、スポーツイベントのレガシーを残すためにはマーケティング戦略が必要なのである。それは当然のことだと思われるだろうが、ではなぜこのようなパラダイムシフトが起きているのだろうか?
これまでの実践研究では、スポーツイベントが開催地にどのようなレガシーを残したのか、その結果を検証することが中心であった。例えば、経済効果がどのくらいもたらされたのか、市民のスポーツ実施率がどれだけ高まったのかといったことである。しかし、経済効果は算出方法によって結果が異なることから、そもそもの経済効果の有無、方法論の正確性について議論が行われている(Crompton, 1999; Kasimati, 2003; Taks et al, 2011)。また、市民のスポーツ参加への影響も研究者間で統一した結論が出されておらず、議論が分かれている(Pappous, & Hayday, 2016; Weed et al., 2015)。このように期待される結果が得られていない要因として、イベント開催の目的が経済効果を得ることではないため、経済効果を生みだすような取り組みを行っていないことが指摘されている(Chalip, 2004)。また、スポーツイベントを開催すると自動的に、市民のスポーツに対する関心が高まり、参加率も増加していくと、イベント主催者が考えがちであることも、要因として挙げられている(Taks et al. 2014; Misener et al, 2015)。こうした議論を受け、スポーツイベント開催に費やされる多額の投資に対する効果を大きくする必要性、そのためのマーケティング戦略に注目が集まるようになっているのである。
実際に、NASSMで発表されたスポーツイベント関連の研究でも、この「スポーツイベントレバレッジ」の考え方を取り入れている。例えば、コモンウェルスゲームズを事例に、地方自治体や政府などのステークホルダーがイベントレバレッジのために行った取り組みを調査した研究がある(Leopkey & MacIntosh, 2018)。この研究では、イベント関係者はステークホルダーとの関係構築を、イベントステークホルダーはレガシーチームを形成するなどガバナンスの整備などを実施していることが明らかにされている。
それに対して、スポーツイベントレバレッジの問題点を指摘する研究発表もあった。例えば、イベントレガシーに関しては、実務者レベルでも議論が多々行われているが、イベントレバレッジという考え方については、知識がまだ不足しており、適切な戦略や資源の配分が行われていないという指摘である(Gao, Heere, Todd, & Mihalik, 2018)。イベントレバレッジの枠組みでは、イベント主催者のみならず、ステークホルダー、例えば競技団体やスポーツクラブ、学校、地域などの連携が必要と考えられている。しかし、それぞれの組織が異なる目的を持ってイベントに関わっている、あるいは、目標が共有されていないため、戦略的なマーケティング活動が実施できないとの見解もある(Taks, Green, Misener, & Chalip, 2018)。その事例として、スポーツクラブがイベントを機に新規会員獲得のためのキャンペーンを行おうとしても、イベント組織委員会の規定によりマーケティング活動が制限されたり、クラブ同士が互いを競争相手と見なし、連携のとれたマーケティング活動が実施できないということが挙げられる(Taks et al. 2018)。市場競争原理の視点から見れば、クラブ間での競争は当然のことであるが、スポーツイベントレバレッジの視点では、クラブ毎のマーケティング活動では十分な効果は得られないため、関係団体の連携によりスポーツイベントの効果の最大化を目指すことが重要と考えられている。他にも、組織委員会やスポーツ関係団体のキャンペーンにより、スポーツに興味を持つ人が増えても、受け皿となるスポーツクラブ側の人的キャパシティが追い付いていな事例もある(Macrae, 2017)。
こうした学術研究の流れを鑑みると、今後、実務者レベルでも「どのようにイベントの効果を最大化していくのか」という議論がますます重要になっていく。もちろん、ラグビーワールドカップ、オリンピック・パラリンピックをはじめとして、各スポーツイベントでレガシープランを基に様々な事業が実施されている。それらの効果を最大化させ、スポーツを取り巻く環境をよりよくするためにも、一過性のレガシー事業としてではなく、イベント開催の意義、スポーツの在り方に関するビジョンを、関係組織間(政府から地域クラブまで)で共有する機会として活用し、長期的な視点を持って取り組んでいくことが重要となっていくのではないだろうか。また、同時に、このような議論を進め、統括できる組織・人材も必要となってくるであろう。
レポート執筆者
相澤 くるみ
Visiting Scholar, Research Institute for Sport Knowledge, Waseda University Visiting Scholar, School of Kinesiology, University of Minnesota Correspondent, Sasakawa Sports Foundation