2018.02.16
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2018.02.16
前回記事では、スポーツ実施率(身体活動・運動習慣定着率)を地域全体で高めるにあたり、世界の最新エビデンスが示す普及戦略の鍵と落とし穴を確認した。本稿では、より詳細なソーシャル・マーケティングのプロセスを取り上げたい。
皆さんが何か事業を実施する際、その過程や進め方に明確な指針や行動原則はあるだろうか?前回記事でエビデンスをもとに確認した通り、地域全体でスポーツ実施率を向上させることは、一筋縄ではいかない難しい課題である。必ず成功が約束された魔法の杖のような方法は存在しない。しかし、ソーシャル・マーケティング(social marketing)を身につければ、この困難な課題に挑戦する上で、少なくとも適切な模索の仕方を導く羅針盤や行動原則として働いてくれる。ソーシャル・マーケティングの定義はさまざまであるが 1)、例えば、保健分野においては、「対象者の行動が健康によい方向に自発的に変わるように、商業分野のマーケティング技術を応用して、健康教育プログラムを計画、実施、評価すること」といった定義がある 2)。なお、マスメディアを利用することをマーケティングと理解している人もいるが、これは誤りである。では、具体的にどのように進めるのか。概要は表1のようになる 3)。
マーケティングを行うことのメリットは多々あるが、例えば、その初期の段階で行われる対象者の細分化(ステップ2)とターゲティングにより、心を寄り添わせるべき対象が明確になるという点がある。地域(職域・学校)全体が対象だからといって、あまねくすべての人にあてはまるメッセージ(あるいは介入)を用いたところで、結局、誰の心にも響かず、自分事化できない、という結果に陥る可能性が高い(図1)。また、健康志向の高い人だけに響いてしまい、結果的に健康格差(スポーツ実施率の社会経済的要因による格差)を広げてしまっている可能性もある。これは、公的機関が知らないうちに犯してしまっている過ちの1つかもしれない。筆者自身も自治体職員として勤務した経験があるため、公的機関にかかる社会的なプレッシャーが、「あまねくすべての人にあてはまる総花的なアプローチに落とし込まないといけないのでは?」という考えを生み出しやすい背景はよく分かる。しかし、それが結果的に住民(国民)の利益を損ねている場合、その考えは修正させたほうがよいだろう。その点、ターゲティングは、メリハリのあるアプローチにより、しっかりと「伝えたい相手の心に響くメッセージ(恩恵を受けてもらいたい人にしっかり介入を届ける事業)」を可能にする。細分化されたグループごとに適した方法で行動変容を促し、複数のアプローチの結果として全体での変化を達成する。また、波及効果の高い集団を特定し、そこに働きかけることで全体への行動変容の広がりを狙う。こうした戦略に基づけば、受益者が偏るのでは?という懸念にも対応可能である。
図1.ターゲティングを行う必要性
(デザインの巧緻に加えて、左のチラシではターゲットが明確になっていないため、情報量が多くなり過ぎている)
なお、前回紹介した筆者らの島根県雲南市におけるプロジェクトでは、40-79歳の中高年者全員が普及の対象であるが、ターゲティングにより、主要コミュニケーション・ターゲット(primary communication target)として、「女性」✕「60~79歳」✕「腰または膝に痛みがある人」✕「身体活動を十分ではないが、少し実施している人」を設定した(全対象の16~19%に相当)4)。このターゲット選定には、TARPARE法 5)という手法を用いており、セグメントの人口規模(Total number in segment)、健康リスク(At Risk status)、説得可能性(Persuasibility)、到達可能性(Accessibility)、活用可能な資源(Resources)、社会的公平性(Equity)の6観点に基づいている。この集団以外を切り捨てるということではなく、まずは洗練された介入でこのターゲットを動かし、そこからさらに全体へ波及効果が生み出されることを狙っている。特に2年目以降では、口コミ戦略にも重点を置いたため、女性インフルエンサーから友人・家族・近所の人々など、幅広い集団に拡散していくことも見越して、こうしたターゲットが選択されている。
結果として、雲南市のプロジェクトでは、性・年代によらず、また、ターゲットか否かに関わらず、地域全体で身体活動普及の効果が認められた 6)。「緩やかな絞り込み」により、メッセージや介入戦略を洗練させることで、結果的により広く届いた成功例と言える。繰り返しになるが、「みんな」に届けようとして、結局、「誰にも響かない」アプローチにすることは避けなければならない。ターゲティングを利かせたアプローチは、必ずしも受益者の限定につながるわけではない。むしろ総花的なアプローチの方が、受益者を限定・減少させていると考えるべきである。
ソーシャル・マーケティングに基づいて事業を進める場合、介入を何にするか(what)が先に決まってしまっているのではなく、誰がターゲットか(who)を考え、そこから何をすべきか(what)を導き出すことになる。つまり、結果的に取り組むべき事業として、スポーツ教室を開くことになるかもしれないし、アプリを作ることになったり、マスメディアを活用することになったりするかもしれないのである。担当者・意思決定者の好みや直感だけを根拠に、先に事業内容が決まっていて、さぁどうしましょうか、誰が来てくれますかねぇ、と考えていくのは、マーケティングに基づいた戦略的な進め方とは言えない。こうした状況が起こることはよく理解できるし、このような偶然(思いつき)が画期的な結果をもたらすこともあり得るが、その担当者や後任者が翌年の事業でも同様な結果(=スポーツ実施率の向上)を生み出せる保証はない。そもそもこのような進め方では、良し悪しを判断するための評価がしっかり出来ていない場合もあるだろう。ここで改めて表1のソーシャル・マーケティングの初めの一歩(ステップ1)を見ていただきたい。「状況の分析」とあり、これには、SWOT分析などが含まれる。SWOT分析とは、図2に示すとおり、内的および外的な好ましい・好ましくない要因を整理していく作業である。
図2.SWOT分析
このSWOT分析は短時間でも実施出来るので、客観的な視点から指摘してくれる人(外部の協力者やアドバイザー等)も含めた上で、複数メンバーで寄り合って、初めの段階で行った方が良い。自身の自治体や組織が直面するマイナス面(好ましくない要因)ばかり口にする事業担当者もいるが、SWOT分析をしっかり行えば、自らの組織が持つ貴重な強み(内的)と機会(外的)に気づくことが出来るだろう。事業実施に向けて、初めは想定していなかった意外な資源が身近なところに色々とあることに気づくかもしれないし、自らの組織の弱みが明確になることで、どのような人・組織と協力すればそれを補えるかが明確になるかもしれない。こうした状況分析や、続く諸々のステップを経て(2.対象者の細分化→3.目的と目標の設定→4.マーケティング・ミックスに関する戦略の決定)、スポーツ教室の開催からアプリの開発まで、具体的な事業内容(What)の選択肢がテーブルの上に置かれることになる。そう、ソーシャル・マーケティングに基づくと、「何」に取り組むかを決めるまでに、相当のプロセスと時間が必要になるのである。「まずやってみる」ことの価値を理解しつつも、「不用意に取り組まない」ことの重要性を踏まえ、スピード感を持って着実にプロセスを進めていく。これがプロフェッショナルなスポーツ普及専門家の仕事の流儀と言える。
また、スポーツ・身体活動に関して普及戦略のエビデンスの話をすると、決まって、「他の地域(国)の話だから、自分の地域では当てはまらない」という反応を見聞きする。確かに正しい部分もあるが、これでは多くの有益な情報を収集し損ねてしまう。他地域の事例を読み解く上では、一つ大事なポイントがある。それは、具体的なアウトプットとしての事業内容(What)と合わせて、どう事業内容を決めたか・プロセスを進めたか(How)といった大枠の部分に注目するということである(これは、公衆衛生学やポピュレーション・サイエンス全般におけるエビデンスの読み解き方とも言える)。このHowの部分にあたるのが、筆者らの研究でも活用された①ソーシャル・マーケティングや②多面的介入(Multi-strategic community-wide intervention)の枠組みである。スポーツ実施率向上に向けて、この2つの枠組みが応用できないという地域・国あるいは対象(各年代、有疾患者含)は、実質的にない(=全ての地域・対象に適用可能)と言える。なぜなら、この2つは、身体活動・スポーツという行動の特徴を捉えて明確な指針を与えてくれるものの、具体的な内容(What)については何も言っていない(制約していない)のと同じだからである。ゆえに、これらを活用した事業の内容は多様性に富み、当然、その取り組みの質にも差が生じる。他地域の事例については、ただ地域の特色が違うからという理由だけで情報を遮断するのではなく、こうした大枠のプロセスや質も含めて吟味しつつ、参考になりそうなことは貪欲に吸収していくことが求められる(ただし、検証不十分な事例がほとんどであろうから、その点についても頭に入れておく必要がある。エビデンス・レベルの判断の仕方については筆者の拙稿も参考にされたい 7))。前稿でも確認したとおり、強固なエビデンスをもって身体活動を地域全体で促進出来ると証明された方法はそうそうないのである。
人の行動を促すためのマーケティングという観点では、身体活動に限らず、様々な企業の活動も参考になる。2017年のノーベル経済学賞は、行動経済学分野のシカゴ大学リチャード・セイラ-教授が受賞した。行動科学の知見や企業のマーケティング活動は日進月歩である。スポーツの普及に関わる専門家も、こうした関連分野の取り組みや知見を取り入れつつ、スポーツ実施率の向上に向けてチャレンジしていきたい。
レポート執筆者
鎌田 真光 (2014年9月~2018年3月)
海外特別研究員
Research Fellow
Harvard T.H. Chan School of Public Health
Overseas Research Fellow, Sasakawa Sports Foundation (Sept. 2014~Mar. 2018)