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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

スタジアムのある街の風景

【オリンピック・パラリンピックのレガシー】

2017.12.13

2012年ロンドンオリンピックの開閉会式、陸上競技が行われたメインスタジアム

2012年ロンドンオリンピックの開閉会式、陸上競技が行われたメインスタジアム

スタジアムのある風景が好きだ。どこかの都市をはじめて訪れるとき、私は必ずスタジアムを見に行く。都市の風景のなかでどのようにスタジアムが佇んでいるかが、その街の人びとの心にスポーツが占める位置を表しているような気がして、それを確かめにいくのだ。

都市のなかにスタジアムほど巨大な構造物は、なかなかない。スポーツという「たかが娯楽」のための施設だが、その存在感は圧倒的だ。だからそれが視界に現れることをどんな風に許しているかが、その街とスポーツとの心的距離を象徴しているように思うのだ。

大雑把に言ってしまえば、スタジアムが立地する場所はふたつにひとつだ。街中か、街外れか。たとえばロンドンやグラスゴーといったイギリスの都市には、街中のスタジアムがたくさんある。地元クラブ(といえばサッカーチームに決まっている)のホームスタジアムが、住宅街のなかにスッポリ収まっている。素敵な風景とは言えなくても、地域の人びとの毎日の暮らしに溶け込んでいる。パリのパルク・デ・フランスは、街の中心部を囲む環状道路のギリギリ外側のグリーンベルトの隅っこに建っている。隣には家族連れで一日を過ごせる競馬場もあったりする。こちらは週末のひと時をゆったり過ごす人びとの風景とともにある。

1998年のFIFAワールドカップ決勝の舞台となったパリ郊外にあるスタッドフランス

1998年のFIFAワールドカップ決勝の舞台となったパリ郊外にあるスタッドフランス

同じパリでも、スタッド・ド・フランスは趣きが違う。1998年W杯のメイン会場として建設されたこのスタジアムは、環状道路の3kmほど北側にある。周辺は、大規模な都市再開発事業によって商業ビルが立ち並ぶ。近隣の壁の鮮やかなグラフィティが彩りを加えてはいるが、どうにも殺風景に思えて仕方がない。「暮らし」の匂いがしないからだ。

そういえばローマのスタディオ・オリンピコも、街外れでポツンと寂しそうにしていた。シドニーのオリンピックパークも、奥へ進めば進むほど殺風景だったことを思い出す。地元の大学の調査によれば、周辺で最も人が集まっている場所は某大手バーガーショップだという。

スペインの建築の巨匠アントニオ・ガウディ設計のサグラダ・ファミリアはいまだに完成せず

スペインの建築の巨匠アントニオ・ガウディ設計のサグラダ・ファミリアはいまだに完成せず

スポーツ・メガイベントが都市を再生するという神話が生まれたのは、1992年の夏季オリンピック・バルセロナ大会だ。記念碑的なメインスタジアムはもちろん、交通インフラがアップグレードされ、街並みは綺麗に生まれ変わる。それに釣られて観光客も投資も集まって、都市の経済成長が約束される。これが「神話」だというのは、バルセロナ以降同じストーリーで語ることのできる都市はひとつも現れていないからだ。オリンピックやW杯で都市経済は成長せず、自治体は負債を負い、市民は増税と緊縮財政に苦しめられる。こちらの方がずっと起こりやすいシナリオだということは、動かしがたい「現実」だ。

それがわかっているから、2010年前後を境にメガイベントの「レガシー」ということが言われるようになった。放っておくと負の遺産になってしまうから、なんとか正の遺産になるように計画しよう、というわけだ。その結果、都市に現れるスタジアムは益々「スポーツでないもの」とカップリングされるようになっているように思えてならない。

たとえば2010年南アフリカW杯の準決勝が行われたケープタウン・スタジアム。美しい海岸沿いの緑地に白くそびえ立つ姿には、息を飲まずにいられない。

すぐ隣には観光客が安心して過ごせる、テーマパークみたいなウォーターフロントの再開発地区がある。けれどほとんどの訪問客は、このスタジアムの開発が空港と市街地を結ぶ国道沿いのスラムに住む人びとの大規模な強制移転とセットで行われたことを知る由もないだろう。

ロンドンオリンピックの競技施設が集中したオリンピックパークには期間中多くの人が集った

ロンドンオリンピックの競技施設が集中したオリンピックパークには期間中多くの人が集った

2012年夏季オリンピックは、ロンドン大会の低所得層の居住地区として知られる東地区(通称”イーストエンド”)の大規模再開発とセットだった。最寄駅からオリンピックパークに向かうには、高級ブランド店がぎっしり詰まった超巨大ショッピングモールを延々通り抜けなければならない。周辺一帯はゴテゴテした民間マンションの建設ラッシュに沸き、どうやら人気も上々らしい。しかし不動産価格の高騰は、古くからこの地に住む低所得層をはじき出すことになりかねない。

では東京はどうか。巷では「2020年」を旗印にした東京の再開発事業が活況だ。その勢いはケープタウンやロンドンの比ではない。いかにも開発好きの日本人らしい。

たとえば、国立競技場周辺。緑豊かな神宮外苑にひっそりと大小のスポーツ施設が見え隠れする東京のど真ん中のオアシスは、これから高層ビルが立ち並ぶ巨大なビジネスディストリクトに変わっていくだろう。たとえば湾岸の競技施設開発は、一帯に民間開発を呼び込むだけでない。有明から築地市場を突き抜けて新虎通りに合流する環状2号線が、計画から20年を経て遂に貫通することになる。いずれも「スポーツ」は、なんだかオマケみたいである。

「暮らし」と「スポーツ」の不在。それが東京の都市レガシーになりはしないか。心配の種はつきない。

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スポーツ歴史の検証
  • 鈴木 直文 一橋大学大学院 総合社会科学専攻 准教授