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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

5. パラリンピックの今後『進むべき方向』どう見定めるか

【パラリンピックの歴史を知る】

2017.02.10

1948年、第1回のストークマンデビル大会をルーツとしてひっそりと始まったパラリンピックは、68年後のリオデジャネイロ大会では159カ国・地域と難民選手団の合計約4300人が参加するほどの大イベントに成長した。2020年の東京大会ではさらに大きく、華やかになるに違いない。が、その発展はさまざまな課題をも生み出している。規模が大きくなればなるほど、華やかさを増せば増すほど、光と影が交錯するのはオリンピックとまったく同じことだ。

まずは最も基本的な考え方をどうしていくかという問題がある。大会の方向性をどうするのか、だ。これは簡単には論じにくいが、いささか乱暴に単純化してしまえば、競技性を重視するか、平等性を重視するか、ということに集約することもできるだろう。

リオパラリンピック開会式。花火で真っ赤に彩られたマラカナンスタジアム

リオパラリンピック開会式。花火で真っ赤に彩られたマラカナンスタジアム

パラリンピックを頂点とする障害者スポーツには、それぞれの障害に応じて多くのクラスが設定されている。視覚障害、脳性麻痺まひ、切断・機能障害などに分かれ、それがまた立位、車いす使用や障害の内容、種類、程度などによって分けられているので、たとえば陸上競技の100mをとっても、20に及ぶクラスがある。障害の状況によって運動能力は大きく変わってくるから、なるべく平等に競えるようにするためには、細かいクラス分けが必須というわけだ。

だが、トップ選手のレベルが著しく上がり、競技スポーツのイメージが強くなってくると、多くのクラスが並立する形とは相いれないところも出てくるのは避けられない。近年は競技性を前面に押し出していく方向性が定着している。「メダルの価値を高めるべき」の声もあり、それを受けて実際にクラス統合も行われている。今後はますます競技性重視の流れが加速していくだろう。

が、それはもう一方の側面に大きな影響を及ぼす。先に触れたように、一見同じように見える障害であっても、その内容によって運動能力には大きな差が出てくる。たとえば、脊髄損傷せきずいそんしょうで下半身が使えない場合でも、腹筋が効くかどうかで競技力は決定的に違ってくるのだ。となると、クラスが減らされ、ひとつ軽いクラスに統合されるだけでも、まったく勝負にならないといった状況にならざるを得ない。競技力重視の方向へ進めば、一方で平等性を欠くことにもなるのである。

もちろんこれは簡単に論じられる問題ではない。パラリンピックを筆頭とする障害者スポーツは大きく変貌し、また進化している。競技人口や種目も著しく増え、用具の革新なども進み、プロとして活動する選手も少なくない時代だ。そうして急速に変わっていく中で、競技性と平等性のバランスをどう保っていくのか。ともに欠かせない2つの面をどのように併立させていくか。いま、すべての関係者にその問いが向けられている。過渡期を経て新たなパラリンピック像を確立することが求められている。

これらの問いはもうひとつの大きな問題へともつながっている。オリンピックとパラリンピックの統合を求める声にどう向き合っていくか、だ。

「オリンピックとパラリンピックをひとつの大会にすべきだ」という主張は、近年しばしば展開されるようになっている。双方を同じ組織委員会のもとで進め、関係を密にしていく流れは既に定着しているが、それを一歩も二歩も進めて、同じ枠組みの中に含めてはどうか、さらに進めてひとつの大会としていくべきではないかとする考えである。

これは確かにひとつの理想に違いない。パラリンピックが競技色を強めてきている中ではそれなりの現実味を帯びてもいる。

ただ、言うまでもないことだが、双方の成り立ち、歴史、方向性はまったく異なっている。持ち味や魅力もそれぞれだ。オリンピックは世界の若者がスポーツによって一堂に会するためにつくられ、いまは世界最高峰の技と力を競う場となっている。一方、パラリンピックは障害のある人々の社会復帰を進める方法の一環としてスタートし、できるだけ多くの障害者がスポーツに親しめる状況を実現するための舞台、またその理想へ向けての旗印として発展してきた。競技性重視の方向にあるとはいえ、基本の精神はあくまでそこにある。

ひと言に要約してみれば、オリンピックは「人間が無限の可能性を秘めているのを示す舞台」、パラリンピックは「人間の努力が無限であることを示す舞台」とでもいえるだろうか。どちらも素晴らしい。どちらも多くの魅力や感動で満たされている。そのうえで考えてみると、筆者としては、両大会の統合には賛成しがたい。出場者にとっても見る側にとっても、それぞれに意味があり、魅力があり、面白さがあるのだ。ことさらひとつにする必然性はない。少なくとも現時点で、木に竹を接ぐようなことをする必要はないのではないか。

統合の主張には、少なからず「ポリティカリー・コレクト」の、すなわち政治的公正さや進歩性を示さんがための建前論の色合いを感じる。それぞれに考えねばならない課題が多いのに、それをよそに、建前だけを論じようとするきらいがある。それはパラリンピックの発展に資するものではない。

それに、パラリンピックにはいまのオリンピックのように、空虚とも思えるほど華美な衣をまとってほしくないという思いもある。パラリンピックを上滑りなショーアップの場にはしたくない。パラリンピックには、オリンピックが失いつつある素朴な理想をずっと持ち続けていってほしい。

パラリンピックの今後については、あと2点ほど取り上げておきたいことがある。ひとつはマルクス・レーム、オスカー・ピストリウスの両選手が提起した問題だ。

2012年ロンドンオリンピックとパラリンピックの両方に出場したオスカー・ピストリウス

2012年ロンドンオリンピックとパラリンピックの両方に出場したオスカー・ピストリウス

2012年ロンドン大会の陸上・短距離に南アフリカのピストリウスが出場して、世界中の注目を集めることになった義足選手のオリンピック参加問題。2016年のリオ大会では、右脚ひざ下義足でありながら走り幅跳びに8m40の大記録を持つドイツのレームが出場を目指したが、競技における義足の優位性、つまり義足のバネがどれほど競技力に影響しているかどうかの証明が不十分だとして参加はかなわなかった。スプリントでは義足にさほどの優位性はないと判断された一方、ジャンプでは義足がかなり有利に働いているとみられているようだが、いずれにしろ、オリンピックとパラリンピックの間に、また健常者の競技と障害者の競技との間に、かつてない局面が姿を現しているというわけだ。

これについて筆者は、現段階の義足であれば、ジャンプの踏み切りである程度のプラスはあるものの、板状の競技用義足を使いこなしてトップクラスの跳躍を行うことがいかに困難かを考えれば、競技における優位性など論じるまでもないと判断している。レームやピストリウスは、何万人に1人、いや何十万人に1人という能力を持ち、かつ、それを形にするだけの途方もない努力をしてきた稀有けうな存在なのである。彼らの努力は世界最高の競技大会にふさわしいものであり、レームの出場が認められなかったのは実に残念なことだったと考えるしだいだ。

とはいえ、この問題に厳密な科学的調査が必要なのは言うまでもない。今後はさらに進化した義足がつくられるだろう。義足以外でも同様の状況が出てくる可能性がある。誰もが納得できる、十分な調査は欠かせない。明確なルールが不可欠だ。こうした課題をひとつひとつ丁寧にクリアしていけば、その先に、健常者の競技と障害者の競技がより緊密に結びついていく未来が見えてくる。

もうひとつ、「パラリンピックをメディアがどう伝えるか」についても指摘しておきたい。

これにはさまざまな課題があるが、近ごろ気になるのは、「障害者スポーツも一般の競技報道と同じように伝えるべき」とする主張である。そこには、「いかに障害を乗り越えてスポーツに取り組んでいるか」というワンパターンの報道に対する強い批判が込められている。そんなことではなく、一般のスポーツと同様に、競技そのものの内容や結果を報じるべきだというのだ。

これには一理ある。きれいごとに過ぎない、美談仕立ての報道は相変わらず多い。それは改めねばならない。が、障害者スポーツには身体や運動能力の制約があり、プレーやパフォーマンスの内容にも限りがあるから、一般のトップレベルの競技のように、誰もがひと目でその魅力を理解できるわけではない。それぞれの競技の背景に何があるのかを知って、初めてそのすごさや素晴らしさがわかってくるのである。目をこらして見つめなければ本質は見えてこない。それを一般の競技と同様に伝えても、真の魅力は伝わらない。その点からして「一般競技と同じ報道を」は、やはり建前論に過ぎないと思う。

「いかにして障害を乗り越えて競技に取り組んできたか、という苦労話はいらない」という主張にも賛成しない。障害者アスリートは深い絶望や苦悩からスタートし、想像を絶する努力を積み重ねて競技の場へと赴いている。その分、競技者としての情熱は熱く深く、だからこそ彼らはあれほど輝いているのだ。「いかにしてハンディや制約を乗り越えたか」は、障害者スポーツの中核なのである。それを伝えずして、いったい何を伝えるというのか。それを伝えるからこそ、多くの障害のある人々がスポーツに取り組もうとするようになるのだし、一般のスポーツファンが選手に対して尊敬の思いを抱くのではないか。「苦労話ではなく、競技そのものを」は、やはりただの建前にしか過ぎないと感じる。

2020年東京パラリンピックは、障害者スポーツのみならず、日本のスポーツ全体を変える契機になり得る。そのためにすべての関係者が考えるべきことは少なくない。建前論などにとどまっているひまはないのである。

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スポーツ歴史の検証
  • 佐藤 次郎 スポーツジャーナリスト

    1950年横浜生まれ。中日新聞社に入社し、同東京本社(東京新聞)の社会部、特別報道部をへて運動部勤務。夏冬6 回のオリンピック、5 回の世界陸上選手権大会を現地取材。運動部長、編集委員兼論説委員を歴任。退社後はスポーツライター、ジャーナリストとして活動。日本オリンピック・アカデミー(JOA)正会員。ミズノ・スポーツライター賞、JRA馬事文化賞を受賞。著書に「東京五輪1964」(文春新書)「砂の王 メイセイオペラ」(新潮社)「義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦」(東京書籍)「オリンピックの輝き ここにしかない物語」(東京書籍)「1964年の東京パラリンピック」(紀伊国屋書店出版部)など。