一般社団法人東北風土マラソン&フェスティバル代表理事、株式会社zero to one 代表取締役CEO 竹川 隆司 氏
2018年度第2回スポーツアカデミーが9月18日に開かれました。
今回は一般社団法人東北風土マラソン&フェスティバル代表理事、株式会社zero to one 代表取締役CEOの竹川 隆司 氏にご講義いただきました。
【当日の概要報告】
※以下の報告は、別掲の当日資料と合わせてご覧ください。
主な講義内容
「東北風土マラソン&フェスティバル」は東日本大震災からの復興を目指し、2014年にスタートした。スポーツを通じた社会課題解決のモデルとして注目を集める同大会がいかにして誕生し、成長を続けているのかを紹介する。
1.東北風土マラソン&フェスティバル
(1)ミッション
東北の魅力ある「風土」と「フード(食、日本酒)」を楽しんでもらい、ランナーだけでなく、その家族や友人といったランナー以外の人でも楽しめるお祭り色の強い大会となっている。東北内外、そして世界中から参加者を集め、「マラソンで東北と世界をつなぐ」をミッションとしている。
(2)フード
ランナーはマラソンコースにある10ヵ所のエイドステーションで、東北のおいしい食べ物を食べながら走る。エイドステーションとは別に、スタート&ゴール地点で東北の食と日本酒のフェスティバルが行われており、食事は地元の40事業者、日本酒は東北の蔵元から108銘柄が提供されている。
(3)ダイバーシティ
老若男女、健常者、障害者を問わず門戸を開いている。ベビーカーに乗った0歳児と走る選手から82歳のお年寄りまで参加。2018年は障害者50人も参加し、50人以上のボランティアのサポートを受けてマラソンとフェスティバルを楽しんだ。
(4)オプショナルツアー
日曜日がマラソン大会で、前日の土曜日にオプショナルツアーを組んでいる。東日本大震災の被災地をめぐり、震災を体験した人の話を行くツアーもあり、このツアーだけで5年間に300人以上が参加した。畑でホウレン草を獲って味噌汁にして食べる、というツアーは外国人客に喜ばれた。
2.マラソン大会の魅力
(1)ランナーにとっての魅力
一人で軽装で始められるマラソンはハードルの低く、だれもが記録を伸ばしていくことができる伸びしろの大きさがある。走ることで仲間ができ、応援してくれる人もできる。さらに、マラソン大会に出場すると、風景や応援、食事、宿泊などが思い出となり、地域とのつながりもできる。
(2)社会的見地からの魅力
ニューヨークシティマラソンは大会全体でチャリティーが30億円程度集まる。9月のぶどうの収穫期に開かれるフランスのメドックマラソンは、8000人のランナーが参加し、その家族や友人を合わせた来場者は3万人にのぼる。経済波及効果は30億~40億円と言われる。これらはマラソン大会がランナーのためのものだけではなく、社会問題を解決したり、地域社会を盛り上げたりするエンジンとなっていることを証明している。
3.東北風土マラソン&フェスティバルの立ち上げ
(1)きっかけ
東日本大震災を体験し、被災地のために何かをしたいと考えた。最初に寄付金を集めて震災復興に携わっているNPO法人3団体に、集めた3000万円を寄付したが、寄付金がどのように使われているのかよく分からず、無力感に襲われた。そこで自分で責任を持ち、一過性で終わらず、継続的に支援していける仕組みを作り上げたいと考えた。
(2)立ち上げストーリー
メドックマラソンに参加し、大会の実行委員長とも直接会って、目指すモデルをメドックマラソンに定めた。メドックマラソンは走りながらワインを飲み、フランスのおいしい食べ物を食べることができる。パスタディナーやワイナリー巡りなど、マラソン以外にも楽しめる場がたくさんある。参加者たちがリピーターとなり、広告塔となって大会が発展している。
(3)失敗と挫折
賛同する仲間を集め、スポンサー集めにも成功し、地元の理解も得られていると考えて準備を進めていたが、地元の理解が得られていなかったことに気が付き、地域を一軒一軒まわってようやく賛同を得た。警察の理解を得るのも難しく、14年4月の第1回大会は告知が大幅に遅れた。
4.東北風土マラソン&フェスティバルのこれまでと今
第1回大会の参加者は、ランナーが1500人、来場者が1万5000人。18年の第5回大会は、ランナー6800人、来場者5万3000人。出場者の約半数が県外からの参加。外国人の参加も第1回の2人から第5回は200人まで増加した。予算規模は6000万円程度で、ランナーからの参加費とスポンサー収入が半々。行政からの補助金はゼロ。これまでに多くの賞を受賞し、18年には復興大臣から感謝状をもらった。
5.東北風土マラソン&フェスティバルのこれから
モデルとしたメドックマラソンはもともとワインが売れず、売れないワインを参加者にふるまうという発想で始まった。このマラソン大会が注目を浴び、売れなかったメドックワインは30年かけて世界のブランドになった。東北の米や酒もメドックワインと同じように、世界とつながっていくことが理想だ。