6月27日、第3回スポーツアカデミーが行われました。
今回は、スポーツ白書2014のトピックスで「スポーツ文化としての暴力」をご執筆頂いた毎日新聞社論説委員の落合 博 様にご講義いただきました。
- 調査・研究
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6月27日、第3回スポーツアカデミーが行われました。
今回は、スポーツ白書2014のトピックスで「スポーツ文化としての暴力」をご執筆頂いた毎日新聞社論説委員の落合 博 様にご講義いただきました。
本講義を通じて、スポーツにおける暴力について以下「考えるヒント」を提供したい。
毎日新聞社 論説委員 落合 博 氏
1)体罰ではなく、「暴力・虐待」と呼ぼう
2)それでも暴力を肯定する被害者
3)ドメスティックバイオレンス(DV)と「疑似家族」としての「部活動」
4)「情動」の基準=「好ましい/好ましくない」の基準は変わる
5)山本 徳郎 氏の「非暴力宣言!?」
6)一緒に考えてほしいこと
7)「指導」を「縦ではなく横に」
8)まとめ
聞き手:笹川スポーツ財団研究員 吉田 智彦
(講師)実際に、暴力事案は減ったし、今も減っている。先ほどの「情動」の話もあるとおり「スポーツ指導における暴力=好ましくないもの」の認識は広がっていると思う。ただ、講義でも紹介した山本氏の指摘のとおり、人間は誰でも暴力性を備えており、暴力をふるいたくなる衝動・誘惑にかられる。その観点から言えば、完全になくなるということはないだろう。
(講師)個人の資質といってしまうと身もふたもないが、大きな視点でいえば「どれだけ社会的な経験を積んでいるか」は重要だと思う。とくに、先ほど紹介した上野氏がすすめる「子育てと介護」という社会経験を通じて、サポートを必要とする人へのアプローチを身に付けるのは大事な素養のひとつになるのではないか。
(講師)何をもって「成果」とするかにもよる。例えば、試合の後半になって選手の動きが緩慢になったと判断して、暴力や暴言を通じて自分の指示に意識を集中させ、試合に勝った場合の「成果」には二通りあるのではないか。すなわち、試合に勝ったという成果と、暴力によって選手を従わせたことへの周囲の批判(非難)という後ろ向きの成果の二つである。後者の「暴力による勝利は真の勝利(成果)ではない」という考え方が浸透するかどうかはまさに情動の問題。「成果」の定義を狭めるべきではない。
ディスカッションの様子
※ディスカッションにおいては、上記に加え、指導者のメンタルの問題、競技団体による指導者育成のありかたなどについて活発な意見交換が行われましたが、紙面の都合により割愛します。
以上