2022年2月16日
井上 俊也(大妻女子大学 キャリア教育センター 教授/日仏経営学会 会長)
- 調査・研究
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2022年2月16日
井上 俊也(大妻女子大学 キャリア教育センター 教授/日仏経営学会 会長)
1984年のロスアンゼルス大会以来、オリンピックは商業的に成功してきた。上昇し続けるスポンサー料、放映権料などを支えたのがプロ選手の出場である。
テニスやバスケットボールのようにトップのプロ選手が勢ぞろいする競技もあるが、フルメンバーではないものとして野球、男子サッカーがある。野球に関しては、米国のMLBの所属選手は出場していない。また、男子サッカーは年齢制限があり、23歳以下(今回の東京大会は1年延期されたため、24歳以下)の選手が出場し、それ以外にオーバーエイジ枠が設けられている。男子サッカーは近年では最も観客を動員する種目となっている。マラソンがオリンピックの華であるならば、サッカーはオリンピックの実であるといえよう。
2020年 東京オリンピック競技大会 サッカー 男子 フランス vs 日本 0対4で日本が圧勝した。 写真:フォートキシモト
そして迎えた東京大会、日本の男子サッカーチームにはすでに欧州やフル代表で活躍している選手も多く、期待は高かったが、結局4位に終わった。日本チームが戦った6試合のうち、対照的な試合があった。グループステージ最終戦のフランス戦(4-0で勝利)と準決勝のスペイン戦(0-1で敗戦)である。いずれも欧州勢との対戦であるが、若手育成に定評のあるフランス戦は一方的な試合となり、逆にスペイン戦は点差こそ1点であったものの、厚い壁を感じさせられた。この理由はスペインがベストメンバーを組んできたのに対し、フランスはベストメンバーとはほど遠いメンバーで日本入りしたからである。
なぜこのようなことが起こったのか、予選段階にさかのぼって説明しよう。欧州からオリンピックのチケットは4枚、2019年の21歳以下の欧州選手権がオリンピック予選を兼ね、この大会で準決勝に進出したスペイン、ドイツ、フランス、ルーマニアが出場権を得た。この大会は予選と本大会からなり、予選は2017年3月から2018年11月にかけてのインターナショナルマッチデーに、ホームアンドアウエーのリーグ戦方式で争われた。本大会は予選を通過した12か国が2019年6月にイタリアとサンマリノに集まって開催された。予選はインターナショナルマッチデー、本大会はシーズンオフに行われるため、各国ともその時点のベストメンバーを組むことができた。しかし、東京オリンピックの開催は、21歳以下の欧州選手権の予選が始まってからすでに4年、予選開始当時は20歳だった選手も24歳となり、フル代表で活躍する選手、欧州のビッグクラブで活躍する選手も少なくない。
そういう中でフランスではオリンピックチームの選手選考は困難を極めた。2020-21シーズンは、5月23日にフランスリーグの最終戦が行われ、6月11日から7月11日まで欧州選手権が開催された。東京オリンピックの男子サッカー競技は7月22日に始まり、8月7日が決勝である。そして、翌シーズンのフランスリーグは8月6日に開幕する。このようなスケジュールの中で、フル代表に選出されている選手には休養が必要であり、各クラブの主力選手は所属クラブがオリンピック出場を認めなかった。
メンバー選考が難航することを見越して、フランスサッカー連盟は2月に約80人の候補を選出し、5月には約50人のプレリストを作成したが、クラブによっては自チームの主力選手をオリンピック代表に選出しないようフランスサッカー連盟に書面を送った。ようやく6月25日にフランスサッカー連盟は18人のメンバーを発表したが、この中には欧州選手権に出場している選手(キリアン・ムバッペ、ジュール・クンデ、ムーサ・ダンベレ、マルクス・テュラム)はおらず、代表歴のある選手は2人(エドゥアルド・カマビンガとジョナタン・イコネ)だけ、国内クラブから12人、国外クラブから6人という陣容であった。それでも、各クラブからの反発があり、7月2日には18人のうち8人をリストから取り下げ、オーバーエイジ枠と予備メンバーを含む11人を追加した。予備メンバーとは正規メンバーが負傷により離脱した場合のみ、日本に駆け付けるという苦肉の策である。この結果、2人の代表歴のあるメンバーは外れ、国外組も3人に減少した。オーバーエイジ枠については、2人は代表経験者であるが(メキシコのクラブのピエール・アンドレ・ジニャックとフローリアン・トーバン)、残り1人は代表歴がない選手である。結局、2年前の予選突破に貢献した選手はわずか3人(ポール・ベルナルドーニ、アントニー・カーチ、ルカ・トゥザール)だった。ムバッペなどの有力若手選手を抱えるパリサンジェルマンは、選手を拠出しない旨の書面をフランスサッカー連盟に送っていたが、結局、プロ契約を結んだばかりの18歳のティモテー・ペンベレを派遣した。オリンピックの本大会が初めての年代別代表という選手も少なくなかった。
予選時の年齢制限(1996年1月1日以降出生)と東京オリンピックの年齢制限(1997年1月1日以降出生)にギャップがあったとはいえ、予選と本大会でこれだけメンバーが変更されてしまうと、チームとして機能することは難しい。このチームの実力は惨敗した7月28日の日本戦が顕著に表している。
また、フランス同様にドイツ、ルーマニアもグループステージで姿を消した。ドイツは欧州選手権に出場し、オリンピックの出場資格のある選手もいたが、彼らを東京に派遣しなかった。ルーマニアは欧州選手権には出場しなかったが、主力選手は他国のビッグクラブで活躍しており、予選時のメンバーはオーバーエイジ枠で引き戻した選手を入れても6人だけだった。
一方、日本を沈黙させたスペインだけは別であった。欧州選手権に出場した23人のうち、オリンピック出場資格があった選手は7人、このうち第3GKの選手を除く6人が東京に向かった。さらに今年開催された21歳以下の欧州選手権に出場した選手が9人、オリンピックチームに入った。すなわちオーバーエイジ枠以外の19人の選手のうち、15人はオリンピックが今年2回目の国際大会だった。このようなメンバー構成のチームに日本が完敗するのは無理もない。
もちろん、オリンピック出場を楽しみにしていた選手もいる。予選時にすでにフル代表入りしていたムバッペは東京行きを熱望したが、クラブからストップをかけられている。おそらく野球の場合も、同様の願望を持ったメジャーリーガーはいたであろう。しかし、彼らは所属クラブの利益を優先せざるを得なかった。
かつてオリンピックがアマチュアのものであった時代、本業の仕事や学業を優先せざるを得ず、競技を断念したアスリートがいた。そしてオリンピックがプロのものとなった時代に、本業である所属クラブを優先させ、オリンピックを断念したプロアスリートがいる。オリンピック以上にビッグマネーが動くプロスポーツ、すなわちより大きな商業主義の前に、オリンピックは敗れたのである。商業主義での敗戦をオリンピックは認め、新たな姿を模索する時期に来ているのではないだろうか。