2022.03.11
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2022.03.11
2022年北京冬季大会は開幕を前に米国や英国、カナダ、オーストラリアの外交ボイコットに見舞われた。これら国々は中国で起きている新疆ウイグル自治区での人権迫害、香港の民主化を訴える人々への弾圧、そして台湾侵攻の動きに抗議して、政府高官を開会式に派遣しないと決定した。
赤で示した部分が新疆ウイグル自治区。中国の行政区のなかでは最も面積が広い
中国側はすぐに反発。「オリンピックの政治利用だ」と反論するとともに、報復の可能性すら示唆してみせた。強い態度の背景には習近平国家主席の威信が関わる。国家主席は2期までと定めた規定を改訂。3期目、いや永世政権への土台を固め、国内外にその権威を示す重要な場だと北京大会開催、とりわけ開会式を捉えているからだ。
オリンピックムーブメントは「政治からの独立」を掲げる。ならば参加国の政府高官が開会式に出席しなくとも何ら問題はなく、むしろ独立の強調となろう。国際オリンピック委員会(IOC)は「政治的な決定の尊重」を語る一方、「スポーツへの政治的干渉をなくすよう求める」と発信するにとどめた。積極的な対立回避への動きは止めている。
そもそも北京大会はトーマス・バッハIOC会長と習主席との合作といっていい。2013年9月、ブエノスアイレス総会で第9代会長に選出されたバッハ氏が2カ月後、初の訪問先に選んだのは中国。2015年に南京で開くユースオリンピックの準備状況視察が理由である。その際、バッハ会長は習主席にオリンピックムーブメントに貢献した人物が対象のオリンピックオーダーを授与した。会長就任に中国が大きな役割を果たした事への返礼だったとの説もあり、その後のオーダーの政治利用の始まりとなった。
この時期、北京は2022年冬季大会招致に立候補していた。バッハ会長と習主席が密接な関係を築くなか、北京はアルマトイ(カザフスタン)を破って招致に成功。IOCはアリババ、蒙牛乳業という中国企業のスポンサー参加を得た。
2017年にはアルマトイでユニバーシアード冬季大会が行われた
IOCと中国政府との関係は深い。外交ボイコット騒動の渦中、中国の著名女子テニス選手が政府高官から性的暴行をうけたとする問題が発生。欧米諸国やテニスの国際組織が批判の声をあげたが、IOCは中国政府寄りの姿勢をとった。北京大会を無事開催する方策だとしたら、本末転倒ではなかったか。
先年のコラムの拙文『政治に振り回されるオリンピック』
(https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/27.html)では歴史的な観点で政治との関係を考えた。書き残した疑問を記しておく。
政治的な介入を否定しながら、なぜ国家元首に開会宣言をお願いするのか。なぜ各国政府要人を招待し、オリンピック外交の名のもと国際政治の舞台に貸し出しているのか。
国・地域オリンピック委員会(NOC)としての参加を原則としながら、なぜ表彰式で国旗掲揚と国歌演奏を続けているのか。国別獲得メダルの公表を禁じながら、NOCとしての獲得だとの“弁明”を認めているのはなぜか。そして開催は都市を原則としながら、政府の財政的な補償を求めているのか。それこそ政治が介在する根っこではないのか。
何よりオリンピックが真に平和を希求する運動ならば、「休戦」「停戦」ではなく「終戦」を求めていくべきではないだろうか。
オリンピックはそうした矛盾を許容するIOCの、よく言えば柔軟性のなかで地上最大のイベントとして発展してきた。
東京2020大会では国際政治の舞台とならず、外交ボイコットも起きなかった。新型コロナウイルス感染の世界的流行のなかで無観客開催、大会関係者の来日も制限された事はまさに歴史の皮肉といえようか。
2018年平昌冬季オリンピック・アイスホッケー女子・南北KOREA統一チームの選手。ユニフォームには朝鮮半島が描かれている
もし通常に開催されていたなら、外交リスクは存在していた。朝鮮半島問題である。
2018年平昌冬季大会で韓国の文在寅大統領は北朝鮮との合同行進、女子アイスホッケーの統一チームを半ば開催国特権として実現させた。東京大会では統一選手団で参加、近未来での南北統一につなげたい意向だったとされる。北朝鮮の不参加で叶わなかったものの、自ら東西分断時代の西ドイツ選手だったバッハ会長はこれを「オリンピックムーブメント」に適うと歓迎。積極的な支援を表明していた。しかし、開催国日本の実情をきちんと把握していたとは言えない。
日本と北朝鮮は国交がない。拉致被害者の問題解決も先が見えない状況にある。加えて半島統一は米国や中国、ロシアの意向もあって簡単な話ではない。東京を舞台に問題が進む可能性があればともかく、課題解決とは程遠い状態ではむしろリスクが懸念された。
竹島をめぐる領土問題、慰安婦像問題など課題山積の韓国との関係では福島産食材に関する嫌がらせはあったものの、今回は自制的だった。しかし観客をいれて実施されていたら、過去にあったような韓国側の政治的アピールがなかったとは言いきれない。
IOCは政治的パフォーマンスを禁じているが、東京大会開幕直前、周囲の空気に押されて「膝つきパフォーマンス」など人権問題に関するアピールを容認した。もし観客がいたら、人権に寄せた政治的な表彰台のパフォーマンスが起きていた事は否定できない。
今回、東京は国内での批判に苦しんだ。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、政治が前面に立った事への批判である。
2020年初頭、コロナ禍が世界的な流行となるなか、日本政府の対応は遅れた。国内にもコロナ禍が広がるなか、7月に迫った東京2020大会開催が懸念され始めた。
問題解決に動いたのは当時の安倍晋三首相である。IOCでも中止が取りざたされるなか、主導権を握ろうと動いた。3月24日、バッハ会長との電話会談で「1年程度をめどに遅くても来年夏までに開催する」事で合意。その後の森喜朗大会組織委員会会長(当時)とバッハ会長との電話会談でオリンピックが2021年7月23日、パラリンピックは同年8月24日開幕となった。
1年延期は安倍首相の強い意思だったとされる。自らの自民党総裁任期が1年後の9月であり、首相として招致に成功、首相としての開催に拘りがあったとしても不思議ではない。まさに政治利用、政治介入と思われるが、世論調査では逆の結果となった。決定直後のNHKの調査では1年延期を「大いに評価する」57%、「ある程度評価する」35%と9割以上が肯定。共同通信の調査でも延期を「適切」とする答えが78.7%であり、むしろ政治的決断を高く評価している。
世論はしかし、コロナ感染の拡大と対応の遅れが目立つにつれて変化。開幕1年前となる7月に共同通信が実施した調査では「来夏の開催」は23.9%に留まり、「再延期」36.4%、「中止」33.7%だった。同様の朝日新聞の調査でも「来夏の開催」33%に対し、「再延期」32%、「中止」29%と1年延期に否定的な意見が多くなっている。
東京2020オリンピック1年前セレモニーでの安倍晋三首相 (当時)とトーマス・バッハ IOC会長(2019年7月24日)
この頃から盛んに喧伝されていたのがオリンピックと政治の問題、政治介入であった。
1年延期後、コロナ感染対策と東京2020大会開催にからめて政治が前面に出てくるにつれ、批判は増した。8月体調不良を理由に安倍首相が突然退任、9月新たに就任した菅義偉首相に対しても就任直後の一時期を除いて批判は高まった。コロナ禍への不安、コロナ対策の遅れへの不信、日常生活への制限が続く状況への不満が合わさった政治への批判だった。伴走する東京2020大会にも同様、批判が募った事は言うまでもない。
政治はなぜ、オリンピックと密接に絡み合うのか。
開催する目的は大きく2つある。国内向けと外国向け。海外に向けた国威発揚、為政者の権力誇示は1936年ベルリン大会を嚆矢とし、2014年ソチ冬季や2022年北京冬季が連なる。同じ国威発揚でも1964年東京や1988年ソウル、2008年北京、2016年リオデジャネイロは対外的な地位向上を掲げた。
国内的には大きく2つ。ひとつが競技会場建設による地域の再開発と開催がもたらす経済効果の創出。都市計画と言い換えられる。
2012年ロンドン大会は、治安が悪く置き去りにされていた東部地域にメインスタジアムをはじめ競技会場を集中した。同時に住宅地への転用を想定した選手村や大型商業施設、ホテル等を造成。交通機関を延伸し、新都心を造り上げた。お手本となったのは2000年シドニー大会である。産業廃棄物の投棄場だった土地の土壌を改良し施設を造り、開催後はシドニーの後背地、住宅地として発展した。競技会場が集中するクラスターは南半球最大のスポーツ拠点となり国際スポーツ界の注目を浴び続けている。
1964年東京大会もまた東海道新幹線や首都高速道路の開通、遅れていた下水道などインフラを整備し、東京が飛躍する基盤を築いた。「1964年大会賛美」は成功体験への追従と言ってもいい。
もうひとつの国内対策が政権の人気浮揚である。古代ローマの世相を批判した言葉に「パンとサーカス」がある。権力者から与えられる「パン」つまり食糧、「サーカス」つまり娯楽によって、民衆が政治的に統制されている状況を比喩する。今回の東京ではオリンピック開催で政治不信から目をそらす効果を指摘する際に、この文言が使われた。
ふと考える。東京2020大会は明確な理念を持ち得たのだろうか、と。
東京招致が動き出したのは2005年。アテネ大会の好成績を背景にスポーツ界が声をあげ、当時の東京都知事石原慎太郎氏が呼応した。石原都政は「東京をニューヨークやロンドンに匹敵する大都市にする」をビジョンに掲げる。海外からの観光客を呼び込むべく東京の魅力を発信する手段として2007年に東京マラソンを創設、2016年大会を延長線上に置いた。その時の招致理念が「平和に貢献する大会」「世界一のコンパクト五輪」だ。
しかし2009年、東京は敗れた。2020年大会招致に乗り出したのは2011年。「3・11」東日本大震災が起きた年であり、石原都知事は乗り気ではなく、「被災地を勇気づける復興五輪に」という言葉に背中を押されて重い腰をあげたのだった。
石原氏が「国政復帰」を理由に都知事を辞めたのが2012年。東京招致が決まった2013年IOCブエノスアイレス総会の招致プレゼンテーションにはしかし、「復興五輪」の文言はなかった。災害はどこの国でも起こりうる事であり、「復興」は東京の「切り札」足り得ないとの理由から回避された。
その後「コンパクト五輪」が実情に合わないとして消え「平和への貢献」も影薄く、明確な理念を描けないまま、再び「復興五輪」を担ぎ出した。新型コロナウイルスの蔓延とともに「復興五輪」も存在感が薄れ、代わって安倍首相が言い始め、菅首相が題目のように唱えた「人類がコロナに打ち勝った証として」が看板として架け替えられた。
看板が共感をよばなかった事は、開催に人気浮揚を託した菅首相のパラリンピック閉幕直前の辞任表明が証明していよう。理念が明確に示されていれば「パンとサーカス」批判はなかったかもしれない。首相退陣はある意味で政治の敗北であった。
オリンピックと政治が無関係ではありえない事は歴史が証明し、人々の理解も及ぶ。しかし為政者を賛美し、明確な理念を語らない政治利用はやがてオリンピックの存在を危うくする。東京、北京冬季は分水嶺である。