2022年1月12日
田口 亜希 (日本パラリンピアンズ協会 副会長/笹川スポーツ財団 理事)
- 調査・研究
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2022年1月12日
田口 亜希 (日本パラリンピアンズ協会 副会長/笹川スポーツ財団 理事)
新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い1年延期となった東京2020パラリンピック競技大会(以下、東京パラリンピック)は163ヶ国・地域と難民選手団(ロシアパラリンピック委員会含む)が参加しました。13日間にわたって22競技、539種目が行われ、日本人選手は金13、銀15、銅23、合計51個のメダルを獲得、22競技中12競技でメダルを獲得することができました。
2013年9月に東京大会開催が決まってから、「会場で観ていただきたい」、「会場を満員の観客にしたい」と私たちアスリートだけでなく、多くの関係者がおっしゃってくださり、また尽力いただいていましたが、残念ながら無観客開催となり、会場で観ていただくことは叶いませんでした。そのような状況でも自国開催で時差がなく、テレビやインターネットなどで朝から夜遅くまで視聴いただくことができ、そして日本語のルール・クラス分け説明や解説・選手説明などがあり、多くの方々から「パラリンピックが楽しかった」、「人間の可能性を感じた」と言っていただき、そして大会後には、「開催してよかった」と思われた方が7割という調査結果も発表されました。
写真:フォートキシモト
一般社団法人日本パラリンピアンズ協会では毎夏季パラリンピック直前に、出場する日本選手団および直近に行われた冬季パラリンピックに出場した日本選手団を対象に競技環境調査を行っています。
東京パラリンピック直前にも東京パラリンピックに出場する、そして平昌2018パラリンピック冬季競技大会に出場した日本選手団代表選手およびコーチ・スタッフに「第4回パラリンピック選手の競技環境 -その意識と実態調査」が行われました。合計311名(選手169名、コーチ・スタッフ142名)から回答があり、回収率は60.5%でした。
選手に対しての「競技環境の変化」の質問に対しては、最も多い回答が「とても良くなった」(34.3%)と「良くなった」(34.3%)であり、約7割が競技環境が良くなったと感じており、特に東京パラリンピック出場選手にその傾向が見られました。東京パラリンピック開催決定後からの国やJPC(日本パラリンピック委員会)など関係各所の様々な政策・取り組みによるものだと思います。このように選手の競技環境は大きく改善したと思いますが、一方で課題もまだあります。
練習場所における質問で、「直近4年間でスポーツ施設の利用を断られた経験、条件付きで認められた経験があるか」の質問に対して21.3%の選手が「ある」と回答しました。東京2020大会に向けた様々な政策、教育活動などが展開されてきたものの、前回調査(リオ2016パラリンピック競技大会出場およびソチ2014パラリンピック冬季競技大会に出場した日本選手団対象に調査)の 21.6%とほぼ変わらないという結果でした。経験が「ある」と回答した選手の障害種別では、「頸椎損傷」(50%)、次いで「脊髄損傷」(38.5%)が多く、特に車いすを使用しているであろう障害種別にこの傾向が見られます。パラリンピアンでさえ5人に1人がスポーツ施設利用を断られた経験、条件付きで認められた経験があるということは、日本でもまだ身近にスポーツができる環境のない障害者が多くいると考えられます。
東京2020オリンピック競技大会には205の国・地域・難民選手団(ロシアオリンピック委員会含む)が出場し、東京パラリンピックに比べ約40も多くの国等が出場しています。その差は何か?オリンピックには出場できるけど、パラリンピックには出場できない国、もちろんそこには様々な理由があると思いますが、やはりまだ障害者がスポーツをできる環境にない国もあるのだと思います。そしてそのような場合、バリアフリーが進んでおらず、スポーツだけでなく日常生活を送るのも難しい障害者もいるのかもしれません。
2020年初旬に外務省の事業でラオス、バングラデシュを訪れ、現地でパラアスリートの話を聞いたり、スラム街に建つ障害者が通う小学校を訪ねたりしました。どちらの国もスポーツをする場所がバリアフリーでない、パラリンピックに出たいけどオリンピアンのようにトレーニングセンターがない、そもそも街や公共交通機関がバリアフリーではなく一人で通うのが難しいなどの意見が聞かれました。
東京は世界で初めて2度目の夏季パラリンピックを開催した都市であり、海外からも注目されています。だからこそ、東京大会が終わったから終わり、ではなく、日本国内そして世界に向けてパラアスリート、障害者の環境を改善していくよう、発信し、働きかけ、活動していかなければいけません。
私は東京オリンピック・パラリンピック期間中は選手村の副村長や射撃場のボランティアを務めました。選手村で一緒に仕事をしていた方が、「私は今まで障害者は下を向いて暗いイメージがあったけど、選手村で会うパラリンピアンは、皆さん明るく、笑顔で、上を向き、胸を張って堂々としている姿を観て驚き、そして今まで自分が障害者に持っていたイメージが勝手な思い込みだと感じました。ただし、もしかするとまだ上を向けていない障害者もいるかもしれない、そのような方々が上を向き、外に出ていける環境を作っていかなければいけないと思いました」と話してくださいました。パラリンピックはスポーツの大会ですが、スポーツ以外にも様々なことを当事者そして関わった方々、観戦された方々と感じ、考えていく大会だと改めて思いました。
1964年の東京パラリンピックで障害者の自立や社会参加、社会貢献が考えられるようになったように、今回の東京パラリンピックが終わってもレガシーとして様々なものが残っていくよう、そして共生社会の実現に向けて私達も努力していきたいと思います。