ボールがめざしたもうひとつのゴール
スポーツは社会の礎、土台や前提になるもの作れる
- 調査・研究
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ボールがめざしたもうひとつのゴール
スポーツは社会の礎、土台や前提になるもの作れる
「一個のボールの行方に熱狂する」楽しみを我われは今回のサッカー・ワールドカップ(W杯)、ブラジル大会でも存分に楽しんだ。ピッチの動きは槍を片手に、狙った獲物を追いかける狩猟民族であった祖先の昔を彷彿とさせたし、罠を仕掛けてはそれを欺き、相手のファールを誘いこみ、オフサイドに持ち込む。その戦略・戦術の巧妙さは、格闘技の身体技術そのものだった。そして何よりも感慨深かったことは、W杯を通して我々は世界を知り、現在のサッカーの世界基準を感じ取ったことであろう。
コスタリカってどこにあるんだ? ウルグアイって南米の国か? こんな会話を交えながら地球の裏側、半球の下で繰り広げられるゲームを一ヶ月もの間楽しんだ。日本チームは残念ながら開幕から半月もたたずに一次リーグから敗退した。おかげでW杯をあてこんで企業が期待していた関連商品の売り上げも尻すぼみで終わったようである。
「サッカーボールひとつで社会を変える」。この本は、スポーツの可能性(=人間の可能性)に挑戦して来たある研究者の現場報告書である。テーマは「スポーツを通じた開発」。テレビや新聞が喜んで伝える領域ではない。政府のODA予算がつくようなスポーツ国際交流の場面でもない。彼が着目して来た領域とは政治やマスコミが見向きもしない、むしろ見ないことにしておきたい社会である。例えばホームレスの集団(第2章)。例えば大量虐殺と内戦で知られるカンボジアの格差社会(第3章)。例えばHIV/エイズの怖さに苦しむジンバブエ(第4章)。こんな社会にサッカーボールひとつをスローインすれば、社会を変えることにつなげられる。
この著作で我々が知るのは、FIFAの強大な組織力をもって繰り広げられる華々しいスポーツの水準、可能性ではない。それとは真反対の社会の裏側、生活の底辺の個別の課題、脆弱な個人と向き合い繰り広げられるスポーツの実際と可能性である。読者はこのレポートを「知る」とか「楽しむ」とかとしてよりも「考える」ために読むことを強いられるかもしれない。しかし「考える読書」もまた楽しい。それは人間の可能性と自由を広げる喜び、知的歓びだから。
投げ入れられたサッカーボールひとつから、人々は社会の土台を作っていく。人のつきあいもない、ルールもない、技術も資金もないところから、人が人としてめざめ関係を作っていく。社会にこの土台が出来れば、ボールのパスが生まれる。このパスの連携にもオーレの歓声を!
(掲載:2014年07月31日)